中国が開放的?
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2008/08/22 08:19 投稿番号: [169741 / 196466]
垢狼がお約束通り一方的勝利宣言の後遁走した。
垢狼が何を言おうがヘタレ中国人が必死に何を反論しようが、動かしがたい事実がすべてを物語る。太陽が東から昇ることについて、中国人は、それは解釈の問題で実は太陽は西から昇るのだ、それに気がつかない日本人は世界で孤立して嫌われていると言う。
1)日本のマスコミにも問題はいろいろあるが、右から左までいろいろあるからこそ読み手は自分で考えながら記事を読む。それは世界の民主国家のどこでも同じことで、政府に規制され政府の広告機関でしかない中国のマスコミとは全く異質なものである。中国にはマスメディアなど存在しない。あるのは宣伝機関のみである。
2)日本には言論思想の自由があり、それに裏付けられた情報が自由に得られる。名誉毀損や誣告、恐喝などの犯罪行為をのぞき、基本的には自由が保障されている。
中国では、情報の自由化など全くなく、人民は政府のお仕着せ情報を得ることが出来るだけである。このような国で、いくら政府が開放的だと言っても国自体がきわめて閉鎖的であることは論を待たない。垢狼の戯言が全く意味をなさないのはそのためである。
3)中国人は自らを客観的に見つめる能力がない。これは、他者を認めることがすなわち弱みにつながるとの思考方法によるものであり、平和とは自分が他者を完全に押さえつけ、その上で恩寵をたれている状態を言う。過去の一見平安な中国王朝の安寧は、そのような状態であった。
平和とはその状態以外存在しないと考える中国人は、手段を問わず他者を従えようとする。しかし古代とは違い、現代では世界は中国の思い通りにはならない。故に中国は無駄な努力に膨大なエネルギーを費やし、本来の発展が出来ず、結果として疲弊し衰退し、王朝の交代を迎える歴史を繰り返してきた。日本が連綿と一千数百年に渡り一つの王朝を保ち続けてきた事実と、高々2,3〇〇年で滅びた王朝の繰り返しの中国とを比較するなど無意味である。
もっとも垢狼などは日本の王朝が途中で途絶えたはずだ等と言うが、それは意味のないことであり、実際の古代の歴史はともかく日本人の意識の中で国家が途絶えることなく続いてきたとの共通認識があることが重要である。そして、その中心として存在した天皇家は、初期の一時期をのぞいて常に国家統一のシンボルとしての位置から動かなかった。その意味で天皇独裁などと無知を曝す中国人は笑止である。このような王朝を保っている国家は世界には日本以外ない。
4)日本は鎖国の最中でも実に世界情勢を知り、情報を得ていた。ロシアの危険性などをいち早く認識していたために間宮林蔵、最上徳内等に命じ北方探検をしている。また中国の情勢も実に正確に把握していた。そのために鎖国をし、他のアジア諸国のような西欧の植民地化を免れていた。それは日本が決して閉鎖的ではなかったからであり、閉鎖的故に欧米に蹂躙された中国とは対比を為す。
5)中国韓国のみならず世界の殆どの地域では、知識とは一部の特権階級のものであり、国民を無知の状態におくことで支配をしていた。一方、日本では庶民に至るまで広く教育が普及し、百姓町人職人問わず、子弟は七,八歳になると全国にあった寺子屋などに通い、読み書きそろばんを習っていた。漢文なども返り点読み仮名付きながら子供がすでに読んでいるのが普通であり、数学も神社の算額で問題を出し合うなどのレベルに達していた。絵画が庶民階級で普通に売買され、芝居や音曲なども隆盛を極め、独自の日本文化を花開かせていた。
世界では、文化とは主として宮廷文化であり、庶民はただ労働を提供するだけの存在でしかなかった。
これは圧倒的な庶民レベルの民度の差となり、後の急速な近代化の基となっている。
今でも庶民レベルの知識レベル、教育レベルは日本は圧倒的に世界でも優れている。一部の知識層の知識が優れていても、それを活かすのは巨大なシンクタンク、つまり国民の質がものを言う。中国ではお呼びもつかないレベルの話である。一例として、日本の工業製品の質が高いのは、それを求めるだけの国民が存在するからであり、国民が自分で商品の質を判断する能力があるからである。このような国民の平均的な知識、教養が日本をして十分な知的開放国家としていることになる。外国製を拒否もしないがありがたがりもせず、取捨選択できる能力があればこそである。
垢狼が何を言おうがヘタレ中国人が必死に何を反論しようが、動かしがたい事実がすべてを物語る。太陽が東から昇ることについて、中国人は、それは解釈の問題で実は太陽は西から昇るのだ、それに気がつかない日本人は世界で孤立して嫌われていると言う。
1)日本のマスコミにも問題はいろいろあるが、右から左までいろいろあるからこそ読み手は自分で考えながら記事を読む。それは世界の民主国家のどこでも同じことで、政府に規制され政府の広告機関でしかない中国のマスコミとは全く異質なものである。中国にはマスメディアなど存在しない。あるのは宣伝機関のみである。
2)日本には言論思想の自由があり、それに裏付けられた情報が自由に得られる。名誉毀損や誣告、恐喝などの犯罪行為をのぞき、基本的には自由が保障されている。
中国では、情報の自由化など全くなく、人民は政府のお仕着せ情報を得ることが出来るだけである。このような国で、いくら政府が開放的だと言っても国自体がきわめて閉鎖的であることは論を待たない。垢狼の戯言が全く意味をなさないのはそのためである。
3)中国人は自らを客観的に見つめる能力がない。これは、他者を認めることがすなわち弱みにつながるとの思考方法によるものであり、平和とは自分が他者を完全に押さえつけ、その上で恩寵をたれている状態を言う。過去の一見平安な中国王朝の安寧は、そのような状態であった。
平和とはその状態以外存在しないと考える中国人は、手段を問わず他者を従えようとする。しかし古代とは違い、現代では世界は中国の思い通りにはならない。故に中国は無駄な努力に膨大なエネルギーを費やし、本来の発展が出来ず、結果として疲弊し衰退し、王朝の交代を迎える歴史を繰り返してきた。日本が連綿と一千数百年に渡り一つの王朝を保ち続けてきた事実と、高々2,3〇〇年で滅びた王朝の繰り返しの中国とを比較するなど無意味である。
もっとも垢狼などは日本の王朝が途中で途絶えたはずだ等と言うが、それは意味のないことであり、実際の古代の歴史はともかく日本人の意識の中で国家が途絶えることなく続いてきたとの共通認識があることが重要である。そして、その中心として存在した天皇家は、初期の一時期をのぞいて常に国家統一のシンボルとしての位置から動かなかった。その意味で天皇独裁などと無知を曝す中国人は笑止である。このような王朝を保っている国家は世界には日本以外ない。
4)日本は鎖国の最中でも実に世界情勢を知り、情報を得ていた。ロシアの危険性などをいち早く認識していたために間宮林蔵、最上徳内等に命じ北方探検をしている。また中国の情勢も実に正確に把握していた。そのために鎖国をし、他のアジア諸国のような西欧の植民地化を免れていた。それは日本が決して閉鎖的ではなかったからであり、閉鎖的故に欧米に蹂躙された中国とは対比を為す。
5)中国韓国のみならず世界の殆どの地域では、知識とは一部の特権階級のものであり、国民を無知の状態におくことで支配をしていた。一方、日本では庶民に至るまで広く教育が普及し、百姓町人職人問わず、子弟は七,八歳になると全国にあった寺子屋などに通い、読み書きそろばんを習っていた。漢文なども返り点読み仮名付きながら子供がすでに読んでいるのが普通であり、数学も神社の算額で問題を出し合うなどのレベルに達していた。絵画が庶民階級で普通に売買され、芝居や音曲なども隆盛を極め、独自の日本文化を花開かせていた。
世界では、文化とは主として宮廷文化であり、庶民はただ労働を提供するだけの存在でしかなかった。
これは圧倒的な庶民レベルの民度の差となり、後の急速な近代化の基となっている。
今でも庶民レベルの知識レベル、教育レベルは日本は圧倒的に世界でも優れている。一部の知識層の知識が優れていても、それを活かすのは巨大なシンクタンク、つまり国民の質がものを言う。中国ではお呼びもつかないレベルの話である。一例として、日本の工業製品の質が高いのは、それを求めるだけの国民が存在するからであり、国民が自分で商品の質を判断する能力があるからである。このような国民の平均的な知識、教養が日本をして十分な知的開放国家としていることになる。外国製を拒否もしないがありがたがりもせず、取捨選択できる能力があればこそである。
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