Re: 正常大國的重要標誌
投稿者: xiaorenfanshi 投稿日時: 2008/08/21 12:38 投稿番号: [169663 / 196466]
>対等の立場じゃないと、この板の倭助どもの暴言が延々と続くと思う。
日本はどう見ても、他国とは対等な立場が持てる国ではありません。勿論の事で、それは他国が悪いからではありません。日本が国家として歩んできた道は非常に特殊だからです。
その特殊の一つは、日本という集団を形成される割と早い時期から牧畜生活を全くしなかったこと、遊牧民と全然接触しなかったこと、従って遊牧民的生き方が全く欠如していることだと思います。
こういう意味で、「この板の倭助どもの暴言」も単なる中国を貶めるための悪口だけではなく、それは真剣に内心から発したもので、本音とも言えるのでしょう。一例として挙げられるのが、彼らの中国の奴隷制度や纏足、宦官などについての持論と、想像して頭の中に開花した「中華思想」云々と中国を批判しながら、中国大陸における「食人」の由来とそれに対して主体文化の見方なども知るもせずに、「食人」「文化」どうのこうの、、、等など延々と議論(?)していた所でしょう。あまりにも無知で耐えられないほどですが、日本人らしいところで、諦観するに値するものとは思っていました。
遊牧民や牧畜民から断絶していたから、純農耕民の生き方をしてきた日本、彼ら日本人のお言葉を借りて言えば、日本は何時の時代でも、いくら有能で優れていても「ただの隣り百姓」です。
中世の日本では人口の八十五パーセントが農民だったことから、気象や風土はさほど違いのない環境で、国民のほぼ全員が一千数百年にわたって、ある時期になると一斉に農作業をし、季節ごとにある同一行動を起こしす。「隣りの百姓」は面白い言葉で、これこそ日本という国の本質的なところだと私は見ています。
隣りが田植えを始めれば自分も田植えする。隣りが肥料をやれば自分もやる。隣りが収穫すれば自分も収穫するのです。隣りが立派な農民なら、真似ることは確かに安全で無難でしょう。此処のところは本質的に「わが道に進む」中国とは大違いでしょう。
牧畜民の生き方と農耕民の生き方が、両方ミックスして生きてきた事は中国の強みでもありますが、世界的にはこれが比較的多く、ごく普通のことです。言ってみれば日本が珍しくて特殊だから、地理的に近く、しかも遥か遠い昔からちょこちょこと交流をしてきた中国とでさえこんなに違いがあって、まさに他の国々においてをや、と思わざるを得ません。
昔は中国、欧米は近い時期まで、それぞれかなり長い間日本に真似すべき、従うべく「隣りの百姓」にされていたわけですが、今日の新たな世界秩序と環境の中で、どうも日本は「従うべく方向感が失っている」のようです。というより、そもそも「対等」は日本人が求めている方向かと言いますと、かなり疑問を抱いています。
日本はどう見ても、他国とは対等な立場が持てる国ではありません。勿論の事で、それは他国が悪いからではありません。日本が国家として歩んできた道は非常に特殊だからです。
その特殊の一つは、日本という集団を形成される割と早い時期から牧畜生活を全くしなかったこと、遊牧民と全然接触しなかったこと、従って遊牧民的生き方が全く欠如していることだと思います。
こういう意味で、「この板の倭助どもの暴言」も単なる中国を貶めるための悪口だけではなく、それは真剣に内心から発したもので、本音とも言えるのでしょう。一例として挙げられるのが、彼らの中国の奴隷制度や纏足、宦官などについての持論と、想像して頭の中に開花した「中華思想」云々と中国を批判しながら、中国大陸における「食人」の由来とそれに対して主体文化の見方なども知るもせずに、「食人」「文化」どうのこうの、、、等など延々と議論(?)していた所でしょう。あまりにも無知で耐えられないほどですが、日本人らしいところで、諦観するに値するものとは思っていました。
遊牧民や牧畜民から断絶していたから、純農耕民の生き方をしてきた日本、彼ら日本人のお言葉を借りて言えば、日本は何時の時代でも、いくら有能で優れていても「ただの隣り百姓」です。
中世の日本では人口の八十五パーセントが農民だったことから、気象や風土はさほど違いのない環境で、国民のほぼ全員が一千数百年にわたって、ある時期になると一斉に農作業をし、季節ごとにある同一行動を起こしす。「隣りの百姓」は面白い言葉で、これこそ日本という国の本質的なところだと私は見ています。
隣りが田植えを始めれば自分も田植えする。隣りが肥料をやれば自分もやる。隣りが収穫すれば自分も収穫するのです。隣りが立派な農民なら、真似ることは確かに安全で無難でしょう。此処のところは本質的に「わが道に進む」中国とは大違いでしょう。
牧畜民の生き方と農耕民の生き方が、両方ミックスして生きてきた事は中国の強みでもありますが、世界的にはこれが比較的多く、ごく普通のことです。言ってみれば日本が珍しくて特殊だから、地理的に近く、しかも遥か遠い昔からちょこちょこと交流をしてきた中国とでさえこんなに違いがあって、まさに他の国々においてをや、と思わざるを得ません。
昔は中国、欧米は近い時期まで、それぞれかなり長い間日本に真似すべき、従うべく「隣りの百姓」にされていたわけですが、今日の新たな世界秩序と環境の中で、どうも日本は「従うべく方向感が失っている」のようです。というより、そもそも「対等」は日本人が求めている方向かと言いますと、かなり疑問を抱いています。
これは メッセージ 169640 (red_northwestwolf さん)への返信です.
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