支那研究に就て
投稿者: asia1867 投稿日時: 2008/08/07 01:48 投稿番号: [168486 / 196466]
狩野直喜。
1924(大正13)年10月、旧制和歌山高等商業学校開校記念講演会での講演録。
その一節から
明治三十三年即ち北清事變の際、我軍隊が北京城内の北の方の半分を占領した時私は恰度留學生として支那に參つて居つたので、秩序恢復の委員に命ぜられましたが聯合軍が北京に入つてから二日間にして日本の占領區域内は忽ちにして秩序を恢復し人民をして安堵して商賣を營む事を得せしめた。當時露西亞の軍隊が日本の占領軍區域と隣り合せて居つたが、其れを見ると人民は皆白晝でも門戸を鎖ざし往來一人も人影を見ない、甚敷は其最も大切にする家財を捨て日本軍の占領區域内に集つて來るのであります。其時に露西亞の方では我日本に對し、非常な嫉妬の念を起した事がある。之も日本人はどう云ふ風にすれば人民が安堵するかと云ふ事を露西亞の軍隊よりも心得て居つたから容易に二日を出ずして秩序を恢復する事が出來たのである。
それでも、理解しがたいと。
満州のへ封禁策が廃止され、大勢の漢人が移民してきた。
その彼らが、満州国に賛同した事実。
粛清された事実。
西原借款と対中ODA
今も昔も、変わらぬ支那研究の問題。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/168486.html