台湾と琉球。
投稿者: sintyou6 投稿日時: 2008/06/20 19:01 投稿番号: [165704 / 196466]
>>▼明からもらった琉球のアイデンティティ
「琉球王国」のアイデンティティは、中国・明朝によって権威づけられた国際貿易にあった。明朝が「属国にならないか」と持ちかけてくるまで、沖縄は豪族の群雄割拠の時代が続いており、「琉球」という国名を与えられて明の属国となった後に、統一国家となった。
明から属国化を持ちかけられた当初は、沖縄本島の北部、中部、南部の3人の豪族が、強大な明を味方につけてライバルを倒そうと考え、相次いで「属国になります」と申し出て認められた。
その後も割拠時代が約60年間続いた後、首里城を首都とする統一王朝ができた。「首里」とは「首都」という意味で、今の県庁所在地である那覇は、首里から山を降りたところにある外港だった。
明朝は周辺の国々に対し、明に従属する態度を表明すれば、その地域の「王」として認定(冊封)し、中国との貿易で経済的な利益を与える「冊封体制」と呼ばれる外交戦略を展開した。
冊封は漢の時代に始まったが、明の時代には朝鮮や東南アジア諸国、チベットなども、冊封体制の中にあった。日本も足利義満が1401年に冊封を持ちかけられ、その後150年間、明との「勘合貿易」を断続的に続けている。
当時の中国文明は世界の最先端を行っており、陶磁器を始めとする中国製品は、世界中で高く売れた。琉球王朝は、その冊封システムを積極的に利用し、琉球と中国との貿易だけでなく、日本、朝鮮から東南アジアに至る海域で、広く中継貿易を行った。
▼米軍基地は台湾のため?
貿易に使われた船は、最初の100年ほどの間、明朝から無料でもらったもので、修理も中国側がしてくれた。琉球が貿易を活発化した背景に、明朝の国家意志があったことになる。
明朝自身が直接貿易を手がけなかったのは、当時の航海が危険に満ちたものだったのに加え、王朝の価値観として、商業など経済活動は下賎な行為であり、高貴な官僚が手を染めるべきではない、と考えられていたからではないかと思われる。
明の「属国」といっても、軍事的に支配されるわけではない。徳川や薩摩といった日本が琉球を武力侵攻したのと比べ、明や清の冊封体制は、外交的な面子さえ維持されていれば平和な支配であった。中国人が「日本人は野蛮だ」とみるのは、この種の歴史背景がある。
琉球王国は、明にとっては台湾よりも重要な存在だった。当時の中国の文献では、沖縄は「大琉球」、台湾は「小琉球」と呼ばれていた。台湾は沖縄より大きな島なのに、沖縄の方が「大」だったのは、明からみて「より文明化(中国化)された島」であると認定されていたからだ。台湾史上最初の中国人勢力である鄭成功の王朝ができるのは、琉球王国ができてから約200年後である。
大琉球と小琉球は今日でも、意外な点でつながっている。「沖縄の基地は、台湾のために存在している面が強い」と、台湾で国民党の幹部から聞いた。アメリカは中国との外交関係上、台湾を守りたくても台湾島内に基地を作れないから、近くの沖縄に基地を置き続け、「日米安保条約」によって、台湾を中国の軍事的脅威から守ってくれているのだという。 >>
面白いだろお?
。
「琉球王国」のアイデンティティは、中国・明朝によって権威づけられた国際貿易にあった。明朝が「属国にならないか」と持ちかけてくるまで、沖縄は豪族の群雄割拠の時代が続いており、「琉球」という国名を与えられて明の属国となった後に、統一国家となった。
明から属国化を持ちかけられた当初は、沖縄本島の北部、中部、南部の3人の豪族が、強大な明を味方につけてライバルを倒そうと考え、相次いで「属国になります」と申し出て認められた。
その後も割拠時代が約60年間続いた後、首里城を首都とする統一王朝ができた。「首里」とは「首都」という意味で、今の県庁所在地である那覇は、首里から山を降りたところにある外港だった。
明朝は周辺の国々に対し、明に従属する態度を表明すれば、その地域の「王」として認定(冊封)し、中国との貿易で経済的な利益を与える「冊封体制」と呼ばれる外交戦略を展開した。
冊封は漢の時代に始まったが、明の時代には朝鮮や東南アジア諸国、チベットなども、冊封体制の中にあった。日本も足利義満が1401年に冊封を持ちかけられ、その後150年間、明との「勘合貿易」を断続的に続けている。
当時の中国文明は世界の最先端を行っており、陶磁器を始めとする中国製品は、世界中で高く売れた。琉球王朝は、その冊封システムを積極的に利用し、琉球と中国との貿易だけでなく、日本、朝鮮から東南アジアに至る海域で、広く中継貿易を行った。
▼米軍基地は台湾のため?
貿易に使われた船は、最初の100年ほどの間、明朝から無料でもらったもので、修理も中国側がしてくれた。琉球が貿易を活発化した背景に、明朝の国家意志があったことになる。
明朝自身が直接貿易を手がけなかったのは、当時の航海が危険に満ちたものだったのに加え、王朝の価値観として、商業など経済活動は下賎な行為であり、高貴な官僚が手を染めるべきではない、と考えられていたからではないかと思われる。
明の「属国」といっても、軍事的に支配されるわけではない。徳川や薩摩といった日本が琉球を武力侵攻したのと比べ、明や清の冊封体制は、外交的な面子さえ維持されていれば平和な支配であった。中国人が「日本人は野蛮だ」とみるのは、この種の歴史背景がある。
琉球王国は、明にとっては台湾よりも重要な存在だった。当時の中国の文献では、沖縄は「大琉球」、台湾は「小琉球」と呼ばれていた。台湾は沖縄より大きな島なのに、沖縄の方が「大」だったのは、明からみて「より文明化(中国化)された島」であると認定されていたからだ。台湾史上最初の中国人勢力である鄭成功の王朝ができるのは、琉球王国ができてから約200年後である。
大琉球と小琉球は今日でも、意外な点でつながっている。「沖縄の基地は、台湾のために存在している面が強い」と、台湾で国民党の幹部から聞いた。アメリカは中国との外交関係上、台湾を守りたくても台湾島内に基地を作れないから、近くの沖縄に基地を置き続け、「日米安保条約」によって、台湾を中国の軍事的脅威から守ってくれているのだという。 >>
面白いだろお?
。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/165704.html