勝手だが投稿する - 「爺の剣」(1)
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2008/06/19 04:01 投稿番号: [165599 / 196466]
投稿者:爺
以下は孫娘の短編である。ほぼ孫娘がその体験を回顧してつづったようであるから、中国の読者の方、ご参考くださればまこと幸甚である。気に入らぬ方は、無視をお願い申し上げる。
「爺の剣」
物心ついたとき、私には父という人がおりませんでした。幼稚園に入る前、近所の公園で仲良しのお友だちが「お父さん」とか「パパ」とか呼んでいる大人の男の人と楽しそうに遊んだり、おねだりしているのをいつもうらやましく見ておりました。
ある日、母に聞きました。
「どうして直ちゃんにはパパがいないの、ねえ〜、どうして?」
母は一瞬困ったような顔でしたが、
「パパはねぇ、直ちゃんが赤ちゃんのときに亡くなったの。パパはね、きっと天国で直ちゃんのこと見てるから...」
「天国ってどこ、どこにあるの?」
母は、空をゆびさしました。まばゆい青空に真っ白い雲が浮かんでおりました。
母は、ある男性と激しい恋をしました。でもある日、
「急に帰ることになった...」
と言って、素性をはなしてくれたそうです。
それまで日本人だと思っていた男性は、中央アジア系のロシア人でした。顔付きも言葉も日本人、そして名前も日本名をなのっていたそうですから、母の驚きようは想像できます。「数ヶ月で帰ってくる」と言ってお別れしたそうです。そのとき、母は私を身ごもっていたことにまだ気付いておりませんでした。約束の数ヶ月たってもその男性は帰ってきません。連絡ひとつありません。連絡もつきません。母は私を生むかどうか大変迷ったそうですが、その男性を愛するあまり、信じて私を生みました。それでも連絡がありません。
私の母の母、私の祖母は名のある芸奴さんでした。私が幼稚園のときから、躾や作法にとってもうるさく、畳にぺたんと座って絵本を読んでいたり、お人形さんと一人遊びしていると、すぐに竹の三尺の物差しが飛んでまいりました。廊下を歩いていても、姿勢が悪いといっては物差しが飛んでまいりました。だから、子供心に祖母はとてもこわい存在でした。
祖母の家は、古くて大きな家。日舞の稽古場もあって、小学校にはいると毎日のようにお稽古させられました。大勢のお姉さん方の中でも、母の踊りはとてもきれいで、いつも見とれておりました。美しい着物に見とれていたのか、母の表情や仕草にみとれていたのか...。いえ、そのすべてにみとれていたように思います。そんなとき、祖母のお知り合いだとかいう祖母と同じぐらいのお年寄りの男性がちょくちょく稽古場にきていらっしゃって、母の踊る姿をじっと見つめておりました。
私が小学校4年の時、母にとってもしかられて家出したことがあります。冬の寒い日でした。何でしかられたのか、もう記憶がはっきりしませんが、とてもさみしく感じて、ひとりぽっちになったような気がして、家を飛び出したのです。
そうそう、たぶん踊りのお稽古がいやんなっちゃって、祖母に反抗したことが原因だったようです。お金もなく、あてもなく、ただもくもくと歩いて、お腹が空いて、そして夜になって、気が付いたら家の前におりました。
それからまもなく、そのお年寄りの男性がきて、私をある道場へ連れていきました。剣道場でした。二十人ばかりの小学生や中学生の男の子、女の子が稽古しておりました。それからというものは、学校が終わるとその道場へ行き、素振りから始めて、厳しいお稽古の連続。家に帰ると、今度は踊りのお稽古でした。
6年生の時、初めて試合に出ました。とても緊張してしまい、何もわからないうちに負けてしまいました。私ひとり道場に呼び出されると、師範代のこわい先生が待っておりました。いきなり私を羽目板に押し飛ばしたり、足払いで道場の床にひっくりかえしたり、上からのしかかって押しつぶしたり、竹刀を落とすと、道場の外、それもどしゃぶりの雨の中に放り投げて、さあとってこいと言ったり、それはそれはものすごくしごかれました。
道場主であり、なになに流師範のそのお年寄りの男性は、そんな私にはただ無表情でした。その方には奥様と邦夫さんという剣道の強い青年がおりました。邦夫さんは、私にはとってもやさしくすてきなでしたから、恋してしまいました。初恋の人です。だから、どんなに厳しい稽古にもついてこれたのだと思っております。私って、小学生のときからおませだったんですわね、きっと...。
以下は孫娘の短編である。ほぼ孫娘がその体験を回顧してつづったようであるから、中国の読者の方、ご参考くださればまこと幸甚である。気に入らぬ方は、無視をお願い申し上げる。
「爺の剣」
物心ついたとき、私には父という人がおりませんでした。幼稚園に入る前、近所の公園で仲良しのお友だちが「お父さん」とか「パパ」とか呼んでいる大人の男の人と楽しそうに遊んだり、おねだりしているのをいつもうらやましく見ておりました。
ある日、母に聞きました。
「どうして直ちゃんにはパパがいないの、ねえ〜、どうして?」
母は一瞬困ったような顔でしたが、
「パパはねぇ、直ちゃんが赤ちゃんのときに亡くなったの。パパはね、きっと天国で直ちゃんのこと見てるから...」
「天国ってどこ、どこにあるの?」
母は、空をゆびさしました。まばゆい青空に真っ白い雲が浮かんでおりました。
母は、ある男性と激しい恋をしました。でもある日、
「急に帰ることになった...」
と言って、素性をはなしてくれたそうです。
それまで日本人だと思っていた男性は、中央アジア系のロシア人でした。顔付きも言葉も日本人、そして名前も日本名をなのっていたそうですから、母の驚きようは想像できます。「数ヶ月で帰ってくる」と言ってお別れしたそうです。そのとき、母は私を身ごもっていたことにまだ気付いておりませんでした。約束の数ヶ月たってもその男性は帰ってきません。連絡ひとつありません。連絡もつきません。母は私を生むかどうか大変迷ったそうですが、その男性を愛するあまり、信じて私を生みました。それでも連絡がありません。
私の母の母、私の祖母は名のある芸奴さんでした。私が幼稚園のときから、躾や作法にとってもうるさく、畳にぺたんと座って絵本を読んでいたり、お人形さんと一人遊びしていると、すぐに竹の三尺の物差しが飛んでまいりました。廊下を歩いていても、姿勢が悪いといっては物差しが飛んでまいりました。だから、子供心に祖母はとてもこわい存在でした。
祖母の家は、古くて大きな家。日舞の稽古場もあって、小学校にはいると毎日のようにお稽古させられました。大勢のお姉さん方の中でも、母の踊りはとてもきれいで、いつも見とれておりました。美しい着物に見とれていたのか、母の表情や仕草にみとれていたのか...。いえ、そのすべてにみとれていたように思います。そんなとき、祖母のお知り合いだとかいう祖母と同じぐらいのお年寄りの男性がちょくちょく稽古場にきていらっしゃって、母の踊る姿をじっと見つめておりました。
私が小学校4年の時、母にとってもしかられて家出したことがあります。冬の寒い日でした。何でしかられたのか、もう記憶がはっきりしませんが、とてもさみしく感じて、ひとりぽっちになったような気がして、家を飛び出したのです。
そうそう、たぶん踊りのお稽古がいやんなっちゃって、祖母に反抗したことが原因だったようです。お金もなく、あてもなく、ただもくもくと歩いて、お腹が空いて、そして夜になって、気が付いたら家の前におりました。
それからまもなく、そのお年寄りの男性がきて、私をある道場へ連れていきました。剣道場でした。二十人ばかりの小学生や中学生の男の子、女の子が稽古しておりました。それからというものは、学校が終わるとその道場へ行き、素振りから始めて、厳しいお稽古の連続。家に帰ると、今度は踊りのお稽古でした。
6年生の時、初めて試合に出ました。とても緊張してしまい、何もわからないうちに負けてしまいました。私ひとり道場に呼び出されると、師範代のこわい先生が待っておりました。いきなり私を羽目板に押し飛ばしたり、足払いで道場の床にひっくりかえしたり、上からのしかかって押しつぶしたり、竹刀を落とすと、道場の外、それもどしゃぶりの雨の中に放り投げて、さあとってこいと言ったり、それはそれはものすごくしごかれました。
道場主であり、なになに流師範のそのお年寄りの男性は、そんな私にはただ無表情でした。その方には奥様と邦夫さんという剣道の強い青年がおりました。邦夫さんは、私にはとってもやさしくすてきなでしたから、恋してしまいました。初恋の人です。だから、どんなに厳しい稽古にもついてこれたのだと思っております。私って、小学生のときからおませだったんですわね、きっと...。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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