Re: 善光寺聖火リレー辞退。三
投稿者: minoceros 投稿日時: 2008/04/19 22:39 投稿番号: [160410 / 196466]
そして、そういった中国人と話している際、掲示板でも、政治上でも、日本人が、毎度、感じる窮屈さがある。
中国が設定した枠内にとらわれているために起こる、この窮屈さは一体何なのか。
日本人が初めて国際社会へと漕ぎ出そうとした時、国際社会が何を是とし何を否とするか、まだ勉強不足だった日本人は、相手が設定してきた概念にあわせようとする態度を取ろうとしてきた。
これは、西欧社会が牛耳っていた国際社会へと参入すべく日本が選択した方法としては、最初の段階では功を奏したが、敗戦もあってか、西欧社会とのかかわりにおいてのみ功を奏する同じ事を、中国相手にまでやってしまったのである。
もともと西欧文化圏ではなく、それでも西欧文化圏との関わりを持たざるを得なかった、当時の日本が、西欧と異質に見られないために、できる限り、相手の提示した概念の枠内を見して話を進めるという方法を初期段階で選んだのは当然の成り行きと言える。
ところが、これと同じことを、一見、いかにも今ふうの世界みたく振る舞おうとしながら、腹の中では昔ながらの四千年来の残虐性が今も変わらず渦巻いている中国人相手に、敗戦後の日本人はやらかしてしまったのである。これこそが、戦後日本の大きな過ちといえる。
これからの中国との対話において、この先、この愚を、日本は、決しておかしてはならない。
中国との話が、何か変だ、何か窮屈だ、と思ったら、まず、中国が設定し、中国だけに都合よく囲ってきた、中国的概念という枠組みを疑ってかかれ。それを世界レベルに広げろ。
これは メッセージ 160409 (minoceros さん)への返信です.
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