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Re: 倭人思想 −漢字は誰が作ったか

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n_d 投稿日時: 2008/04/13 17:38 投稿番号: [159997 / 196466]
>「中華思想」という中国語にもない言葉を倭人が作ったが、ここで漢字の元祖から「倭人思想」という言葉を定義する。


日本人は西洋の科学技術や政治経済、哲学まで丹念に日本語に置き換え、チャイニーズはそれらを用いずに学ぶことすら出来ません。
(「毛語録」ですら日本語なしには成立しません)

日本では言葉や文字は常に進化しつづけており、高校生ですら新たな語彙や字体までも生産し続けています。

一方チャイニーズは漢字文化を創造することが出来ず、「すでにある字体をただ簡略化する」ことしかできません。(しかも簡略化の方向性が間違っているため多くの文字で本来の意味も分からなくなってしまっています)

なぜ「漢字を発明したと主張するチャイニーズ」に漢字をまともにいじる能力が無く、「漢字をチャイナからもらっただけと言われる日本人」に漢字があたかも初めから自分の道具だったように使いこなす能力があるのでしょうか?


「漢字の原型」と見られる明らかに図象化された「最初の文様」は、約4000年前の山東の大シ文口文化後期の陶尊(底の尖った陶器)に刻まれた「日・雲・火」を組み合わせた絵文字です。(「旦」の文字の原型だとも言われており、さらに多くの体系化された文様が発見されています)

大シ文口文化を受け継いだ「山東龍山文化」や「良渚文化」ではさらに象形文字に発展していく過程が見て取れます。このような文様はその他の地域では見られず漢字の原型である象形文字が大シ文口文化圏で発生し発達したことを示しています。

ところが夏王朝時代になるとぷっつりと文字が発見されなくなり殷代後期になって突然、「発達し整列した甲骨文字文」が登場し殷王朝全体に拡大していきます。

殷代後期といえば、殷王朝が東に勢力を拡大し、秦山のふもとの「奄」を直轄地にして「商奄」(後の商蓋)とし山東の「人方」国を殷の方国とした時期に符合します。(殷文化を代表する饕餮文(とうてつもん)も実は「江淮地域の良渚文化」であって殷の文化ではありませんでした)http://www.tabiken.com/history/doc/N/N015C200.HTM
そして、「倭人」国は「山東半島の南西部」であり「人方」と一致し、そこはまさに「大シ文口文化」圏の中心地です。

要するに、「殷人は大シ文口文化圏の文字文化をそっくりコピーした」に過ぎず、「倭人」は大シ文口文化の直系であり漢字文化の本流そのものです。

さらに「漢字」の原型の「象形文字」は「簡略化した線画」で「物象や概念を表現したもの」であり、その感覚はまさに線画にこだわる「日本の漫画表現」にすらつながっています。
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