Re: 「9条は -漢とは何か
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n_d 投稿日時: 2008/04/12 18:20 投稿番号: [159901 / 196466]
>まずだな〜〜〜、、私達、栄光ある大和民族は、、実は漢民族が30%入り込んでいる。弥生人はどうやって構成されたか、、シナの揚子江の海岸にいた漢民族と九州の縄文アイヌ人がセックスをしてハーフになったのが、弥生人であって、、それは食物米、骨格から、科学的に証明されている。
問題は「漢民族とは何なのか?」「漢王家はチャイニーズだったのか?」ということです。
チャイナで「漢民族という概念ができあがった」のは、「日清戦争で清が日本に破れた」ことでそれまで「西洋かぶれと馬鹿にしていた日本」の強さと技術力の高さに盲を開いたチャイナが多くの留学生を日本に送り、「幕藩体制の封建国家」だった日本が明治維新で「大和民族」という民族概念の元に「日本国」という単一国家を築き上げたことを知ったからでした。
そして「大和民族の日本」をデッドコピーして、それまで想像もしたことのなかった「漢民族の中華」を突然主張しだしたのです。
(さらに「日本人が欧米の科学技術や思想哲学を日本語に翻訳したもの」もそのままデッドコピーしました)
しかしチャイニーズが主張する漢民族とはどういう種族かと言えば
http://wee.kir.jp/china/han_people.html
これからも解るように「言語も互いに通じず、文化も宗教もなんら共通点のない種族」を「無理やり寄せ集めたもの」です。
(「日本における方言や文化の違い」といったレベルではなく、それぞれが「根本的に別民族」です)
そもそも前漢・後漢を建てた「劉」家とは何でしょうか?
「劉」は「卯金川(あるいは卯金刀)を一文字にしたもの」でそれは現在の遼寧省赤峰市を流れる「英金川」のことです。
このあたりは女神像や最も古く龍を表した遺物がある「紅山文化」のあったところで、それは「東夷のルーツのひとつ」ですが「チャイニーズにとっては異民族」です。
劉氏の祖先をたどれば夏王朝時代の御龍氏「劉累」にあたります(その祖は「帝堯」にまで遡ります)
劉累http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E7%B4%AF
堯http://www.weblio.jp/content/%E5%A0%AF
劉累は池で竜を飼いならす達人だった拳竜氏から龍の飼い方を学び、夏の大王「孔甲」の命により、竜を養おうとしたが死なせてしまい「孔甲に竜を食わせて逃亡した」と言われています。http://www.weblio.jp/content/%E5%AD%94%E7%94%B2_%28%E5%A4%8F%29
(孔甲は暴虐な王として知られており「腹に据えかねた劉累が逃亡を決意し、逃げ出す前にわざと孔甲にお気に入りの竜を食わせた」ともいいます。)
ここでいう「竜」は「ワニ」のことで、肉食ではなく魚食で口が細長く体長は10mを越したといい「水面すれすれで泳ぐ」ので「二匹を連ねて船を引かせた」といいます。(「竜」の字は「水面から頭を出し水中は甲(ウロコ)で覆われた姿」を表し、「龍」という架空の生物は「竜」や「鹿」、「鯉」など「氏族のトーテムのパーツ」を組み合わせた「合同トーテム」とのことです)
漢(前漢)を建てた劉邦は、江蘇省徐州市沛県の「任侠の徒」であり、縁あって役人になったものの仕事はできないが「何故か人に好かれる性質」だったといいます。(「男気のある任侠の徒」を「漢(おとこ)」といったりするのはここから来ているようです)http://www.weblio.jp/content/%E5%8A%89%E9%82%A6
徐州は江蘇省の北部で山東省南東部と接する淮河流域で、古くは「彭城」があり大シ文口文化圏にあり、まさに「倭人」国のあったところです。
さらに劉邦は、(三皇五帝時代から遥かに後の時代でありながら)「母の劉媼が沢の側でうたた寝をしていて夢の中で神龍が龍が乗っかって劉邦が生まれた」という正統な「龍トーテム逸話」をもって生まれています。(このトーテム文化も大シ文口文化のもので、チャイニーズからすれば「異文化」です)
「伏儀」や「女か」「盤古」といった苗族神話が、「祖先神話」として広まり公認されだしたのも「前漢」代からですし、白虎、青龍、玄武、朱雀の「四神」をかたどった前漢代の瓦が発見されています。
これらも遼寧省の青龍族や蜀の巴族(白虎族)などの大シ文口文化の末裔であって、確かに「劉」家にとっては「祀るべき祖先神・同族神」ですが、「チャイニーズにとっては異民族の神」です。
そして前漢、後漢が滅亡した後、その末裔は日本の天皇に帰化して西漢氏、東漢氏と
問題は「漢民族とは何なのか?」「漢王家はチャイニーズだったのか?」ということです。
チャイナで「漢民族という概念ができあがった」のは、「日清戦争で清が日本に破れた」ことでそれまで「西洋かぶれと馬鹿にしていた日本」の強さと技術力の高さに盲を開いたチャイナが多くの留学生を日本に送り、「幕藩体制の封建国家」だった日本が明治維新で「大和民族」という民族概念の元に「日本国」という単一国家を築き上げたことを知ったからでした。
そして「大和民族の日本」をデッドコピーして、それまで想像もしたことのなかった「漢民族の中華」を突然主張しだしたのです。
(さらに「日本人が欧米の科学技術や思想哲学を日本語に翻訳したもの」もそのままデッドコピーしました)
しかしチャイニーズが主張する漢民族とはどういう種族かと言えば
http://wee.kir.jp/china/han_people.html
これからも解るように「言語も互いに通じず、文化も宗教もなんら共通点のない種族」を「無理やり寄せ集めたもの」です。
(「日本における方言や文化の違い」といったレベルではなく、それぞれが「根本的に別民族」です)
そもそも前漢・後漢を建てた「劉」家とは何でしょうか?
「劉」は「卯金川(あるいは卯金刀)を一文字にしたもの」でそれは現在の遼寧省赤峰市を流れる「英金川」のことです。
このあたりは女神像や最も古く龍を表した遺物がある「紅山文化」のあったところで、それは「東夷のルーツのひとつ」ですが「チャイニーズにとっては異民族」です。
劉氏の祖先をたどれば夏王朝時代の御龍氏「劉累」にあたります(その祖は「帝堯」にまで遡ります)
劉累http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E7%B4%AF
堯http://www.weblio.jp/content/%E5%A0%AF
劉累は池で竜を飼いならす達人だった拳竜氏から龍の飼い方を学び、夏の大王「孔甲」の命により、竜を養おうとしたが死なせてしまい「孔甲に竜を食わせて逃亡した」と言われています。http://www.weblio.jp/content/%E5%AD%94%E7%94%B2_%28%E5%A4%8F%29
(孔甲は暴虐な王として知られており「腹に据えかねた劉累が逃亡を決意し、逃げ出す前にわざと孔甲にお気に入りの竜を食わせた」ともいいます。)
ここでいう「竜」は「ワニ」のことで、肉食ではなく魚食で口が細長く体長は10mを越したといい「水面すれすれで泳ぐ」ので「二匹を連ねて船を引かせた」といいます。(「竜」の字は「水面から頭を出し水中は甲(ウロコ)で覆われた姿」を表し、「龍」という架空の生物は「竜」や「鹿」、「鯉」など「氏族のトーテムのパーツ」を組み合わせた「合同トーテム」とのことです)
漢(前漢)を建てた劉邦は、江蘇省徐州市沛県の「任侠の徒」であり、縁あって役人になったものの仕事はできないが「何故か人に好かれる性質」だったといいます。(「男気のある任侠の徒」を「漢(おとこ)」といったりするのはここから来ているようです)http://www.weblio.jp/content/%E5%8A%89%E9%82%A6
徐州は江蘇省の北部で山東省南東部と接する淮河流域で、古くは「彭城」があり大シ文口文化圏にあり、まさに「倭人」国のあったところです。
さらに劉邦は、(三皇五帝時代から遥かに後の時代でありながら)「母の劉媼が沢の側でうたた寝をしていて夢の中で神龍が龍が乗っかって劉邦が生まれた」という正統な「龍トーテム逸話」をもって生まれています。(このトーテム文化も大シ文口文化のもので、チャイニーズからすれば「異文化」です)
「伏儀」や「女か」「盤古」といった苗族神話が、「祖先神話」として広まり公認されだしたのも「前漢」代からですし、白虎、青龍、玄武、朱雀の「四神」をかたどった前漢代の瓦が発見されています。
これらも遼寧省の青龍族や蜀の巴族(白虎族)などの大シ文口文化の末裔であって、確かに「劉」家にとっては「祀るべき祖先神・同族神」ですが、「チャイニーズにとっては異民族の神」です。
そして前漢、後漢が滅亡した後、その末裔は日本の天皇に帰化して西漢氏、東漢氏と
これは メッセージ 159847 (hatiwandiver81diver131 さん)への返信です.
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