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どうのこうのあの世馬鹿よ。

投稿者: sintyou5 投稿日時: 2008/04/12 00:03 投稿番号: [159877 / 196466]
ダライ・ラマ13世。

:1878年に、ダライラマの生まれ変わりと認定された。(清の北京で)

当時のチベットは清と大英帝国とロシア帝国の渦中に巻き込まれた。

1904年、英国は軍隊を派遣してチベットの中心都市ラサを駐留され、ラサ条約に調印。ダライ・ラマ13世は北京に逃れるも、1909年にラサに戻る。

1910年に英国の影響を排除するためとして清軍がチベットに進入すると、ダライ・ラマ13世はラサを離れ、インドに向かった。

清はダライ・ラマ13世の廃位を宣言するが、1911年の辛亥革命により清は滅亡。これに伴い、チベットの民族政権はラサの清軍を攻撃し、占領する。ダライ・ラマ13世は1913年1月にラサに戻る。チベット内の中国勢力を駆逐し、1914 4月・チベットー英国間でシムラ条約・チベットーインド間の国境線を定めたマクマホン協定も同時に締結 。

1917 中華民国軍、東チベットを侵略 。

1918 チベット・中華民国休戦協定調印 。

1924 1月・中華民国で第一次国共合作
1927 蒋介石中華民国総統がダライ・ラマ13世に「チベットが中国の一部」となるように書簡を送る//ダライ・ラマはこれを拒否
1930 蒋介石中華民国総統がダライ・ラマ13世に「チベットが中国の一部」となるように2度目の書簡//ダライ・ラマ法王はこれを無視する
1932 チベットと青海省馬歩芳軍と交戦//チベット・青海省境界線協定調印(1933年)

1934 ダライ・ラマ法王(1933.12死去)の葬儀で中華民国代表が、「チベットが中国の一部」になることを要求、チベット政府は拒否//中華民国代表の2名は残留、後に蒙蔵委員会を名乗る 。

1939 第14世ダライ・ラマ法王即位(1935〜) 。

1946 チベット政府、連合諸国に祝賀使節団派遣 。

1947 デリーで開催のアジア諸国会議にチベット代表が出席//チベット国旗掲揚//チベット政府、通商代表団を、インド・英国・米国・中華民国に派遣 。

1949 チベット政府、中華民国代表部(蒙蔵委員会)の退去を命令 。

10月・中華人民共和国成立//人民解放軍、ウルムチに到着 。
12月・蒋介石政権は台湾へ遷移。

1950 チベット政府代表団、デリーで中共大使と会談。
中共大使は「チベットが中国の一部」を提案するも、チベット側はこれを拒否。
この交渉中の10月に中国人民解放軍、東チベットに侵入。国民議会、第14世ダライ・ラマ法王への全権を満場一致で確認。ダライ・ラマ法王とチベット政府は中共の侵略に抗議し、国際連合にアピール。エルサルバドル動議提出 。


ここから先は、皆の知ってる通り。

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