チベットは独立国である
投稿者: allyofjustice007 投稿日時: 2008/04/08 19:48 投稿番号: [159464 / 196466]
中国はチベットの植民地支配を止めよ
チベットは、かって政治的にも完全な独立国家で、その歴史は中国と同じくらい古い。近世になってからモンゴル人がチベットに入ったが、彼らは統治するのではなく、逆にそのラマ教に改宗した。新王朝の満州人もチベットに侵入したが、やはり統治せずに、ダライ・ラマを尊重し、国師として仰いだ。「人民中国」の成立の時点でも、チベットには政府があり、貨幣も国旗も軍隊も持っていた。したがって、中国の「チベットは中国の神聖にして不可分の固有領土」とする主張にはなんの根拠もない。朝鮮やベトナムは藩属とされたが、チベットはやや上の「法皇領(寺領)」と見なされ、ラマ僧は王朝の「国師」とされていたわけだ。チベットが「中国の不可分の領土」と主張するなら、同じように外蒙古、朝鮮やベトナム、さらにビルマにまで、同じような主張をできることになるだろう。実際に中国人はこのような暴論を吐いているのだ。1912年に清王朝が崩壊すると、中華民国樹立と同時にチベットも独立を宣言した。中華民国はチベットの領有を主張したものの、そこを支配する力はなかった。チベットは独立国家であり、独自の言語、文学、宗教のほか、政府はもちろん、紙幣も独自のものを持っていた。第二次大戦末期、ルーズベルト米大統領はチベット政府に対して、対日参戦を求める親書を送っている。中華人民共和国政権樹立の翌1950年、世界革命を目指す人民解放軍は「農奴の解放」を口実にチベットへ侵入した。1950年11月にはチベット政府は国連に提訴して中国軍の侵略を非難し、独立を訴えている。翌年、中国政府とチベット政府は北京で17ヶ条の平和協定を結んだ。じつはこのとき協定内容で合意が得られず、チベット代表は「ダライ・ラマ法王の印璽と内閣および国民会議の承認がないと捺印できない」と調印を断わった。すると周恩来総理は法王の印璽を偽造して、強制的にチベット代表に調印させたのだ。これは国際的なスキャンダルとなった。以来、中国はチベットを間接的に支配することとなった。だが解放軍に支配されるチベットにとっては、明らかに「漢民族の支配」であった。それに対して1957年にチベットの東部と南部で、1959年に首都ラサを中心に反乱が起きた。これが中国軍に鎮圧されると、ダライ・ラマ法王はインドへ亡命、それ以後、中国はチベットを軍事占領し、植民地政策を進めてきた。アメリカ政府は、今でもチベットを被占領国家と見なしている。中国のチベット侵攻後、人口の六分の一にあたる120万人以上ものチベット人が命を奪われた。一方で800万人を超える大量の漢人が入植して、チベット人を少数民族にしてしまった。そして8000以上もあった寺院の9割を破壊し、中学以上の学校教育ではチベット語の使用を禁じて中国語教育を強制し、チベットの伝統文化を破壊した。そのうえ、大規模な森林伐採、地下資源の採掘、野生生物の乱獲、核廃棄物の投棄など、チベットの自然破壊を進めている。チベットの人権問題が世界の関心を集めたのは、1959年の国連14回大会でアイルランド、マレーシアが中国のチベット侵略を提訴してからのことである。1991年になるとアメリカ上下両院がチベットを明確に「被占領国」と認める決議を採択した。中国にとってチベット占領は、中国共産党体制の覇権主義の実態(象徴)であり、さらにネパール南進の野望をも企てている。
黄 文雄著 「文明の自殺」より一部引用
チベットは、かって政治的にも完全な独立国家で、その歴史は中国と同じくらい古い。近世になってからモンゴル人がチベットに入ったが、彼らは統治するのではなく、逆にそのラマ教に改宗した。新王朝の満州人もチベットに侵入したが、やはり統治せずに、ダライ・ラマを尊重し、国師として仰いだ。「人民中国」の成立の時点でも、チベットには政府があり、貨幣も国旗も軍隊も持っていた。したがって、中国の「チベットは中国の神聖にして不可分の固有領土」とする主張にはなんの根拠もない。朝鮮やベトナムは藩属とされたが、チベットはやや上の「法皇領(寺領)」と見なされ、ラマ僧は王朝の「国師」とされていたわけだ。チベットが「中国の不可分の領土」と主張するなら、同じように外蒙古、朝鮮やベトナム、さらにビルマにまで、同じような主張をできることになるだろう。実際に中国人はこのような暴論を吐いているのだ。1912年に清王朝が崩壊すると、中華民国樹立と同時にチベットも独立を宣言した。中華民国はチベットの領有を主張したものの、そこを支配する力はなかった。チベットは独立国家であり、独自の言語、文学、宗教のほか、政府はもちろん、紙幣も独自のものを持っていた。第二次大戦末期、ルーズベルト米大統領はチベット政府に対して、対日参戦を求める親書を送っている。中華人民共和国政権樹立の翌1950年、世界革命を目指す人民解放軍は「農奴の解放」を口実にチベットへ侵入した。1950年11月にはチベット政府は国連に提訴して中国軍の侵略を非難し、独立を訴えている。翌年、中国政府とチベット政府は北京で17ヶ条の平和協定を結んだ。じつはこのとき協定内容で合意が得られず、チベット代表は「ダライ・ラマ法王の印璽と内閣および国民会議の承認がないと捺印できない」と調印を断わった。すると周恩来総理は法王の印璽を偽造して、強制的にチベット代表に調印させたのだ。これは国際的なスキャンダルとなった。以来、中国はチベットを間接的に支配することとなった。だが解放軍に支配されるチベットにとっては、明らかに「漢民族の支配」であった。それに対して1957年にチベットの東部と南部で、1959年に首都ラサを中心に反乱が起きた。これが中国軍に鎮圧されると、ダライ・ラマ法王はインドへ亡命、それ以後、中国はチベットを軍事占領し、植民地政策を進めてきた。アメリカ政府は、今でもチベットを被占領国家と見なしている。中国のチベット侵攻後、人口の六分の一にあたる120万人以上ものチベット人が命を奪われた。一方で800万人を超える大量の漢人が入植して、チベット人を少数民族にしてしまった。そして8000以上もあった寺院の9割を破壊し、中学以上の学校教育ではチベット語の使用を禁じて中国語教育を強制し、チベットの伝統文化を破壊した。そのうえ、大規模な森林伐採、地下資源の採掘、野生生物の乱獲、核廃棄物の投棄など、チベットの自然破壊を進めている。チベットの人権問題が世界の関心を集めたのは、1959年の国連14回大会でアイルランド、マレーシアが中国のチベット侵略を提訴してからのことである。1991年になるとアメリカ上下両院がチベットを明確に「被占領国」と認める決議を採択した。中国にとってチベット占領は、中国共産党体制の覇権主義の実態(象徴)であり、さらにネパール南進の野望をも企てている。
黄 文雄著 「文明の自殺」より一部引用
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