天皇訪中-元祖「天帝」の末裔はどこに
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n_d 投稿日時: 2008/03/31 11:45 投稿番号: [158650 / 196466]
>聖徳太子以来、対等な立場を維持してきた日本と支那の関係を、宮沢内閣はぶち壊したのである
当時、東アジアでただ一国だけ隋と交流の無かった倭国の「聖徳太子」は、「鮮卑族系の隋帝」に対して「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」と自らが「天子である」ことを明言しました。「天子」とは「天帝が(天下を束ねる者として)つかわした子」のことで本来は「世の中にたったひとり」のはずです。
聖徳太子は、倭国は、なぜ「日出る処の天子」と名乗ったのでしょうか?
そもそも「天帝」は「天皇(てんこう)」とも呼ばれ、後に「地皇」や「人皇」と合わせて「三皇」と呼ばれました。
三皇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9A%87%E4%BA%94%E5%B8%9D
http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/3k5t_01.html
この「天皇」(三皇)は、伏義、女禍などの「苗族などの先住種族の始祖神」であって「チャイニーズの始祖神」ではありません。
天皇(天帝)は『みな無欲恬淡でなんら作為するところはなかったが、その徳のために民俗はおのずから化せられた』という「木徳」の王であり、「苗族系やチベット系、タイ族系などの多様な先住種族」が「天皇を中心に集いまとまっていた」と考えられます。
しかし、5000年ほど前に中国の地域に侵入したチャイニーズは全土を戦乱に巻き込んで拡大し続け、「先住民族」達は東西南北の周辺部に移動していきました。
(ちなみに、前漢代から四神と呼ばれた「東の青龍」「西の白虎」「北の玄武」「南の朱雀」も「遼河の青龍族」や「黄河上流の巴族(白虎族)」などの「先住部族のトーテム」であって青龍族系の出である「劉」家にとっては確かに祖先神ですが、本来チャイニーズにとっては「異民族の神」ですし、四夷(東夷、西戎、北伐、南蛮)なども「四方に異民族がいる」というのは正しくなく、むしろ「異民族のチャイニーズが中央部を奪い取った」だけです。)
歴代の「チャイナの皇帝」は自らを天帝がつかわした「天子」と名乗っていますが、「天帝の権威」を利用しつつも「本当に出てこられると困る」のです。
「天帝の末裔」たちにとっても「どこかチャイナの目の届かない所」に「安住の地を求める」しかありませんし、「東の海から昇る太陽」を信仰する彼らにとってそれは「太陽がやってくる東の海の向こうにあるという伝説の地」であったと考えられます。
(しかも「縄文人」は「江南地方にまで交易」しており東海岸沿いに暮らす彼らとは交流があったはずで、また「陸上民族」がやって来にくく、「日本への移動は実に現実的な選択肢」と言えます。)
遺伝子的な厳密性は確認が難しいでしょうが、伊勢神宮をはじめとする日本の宗教や天之御中主神をはじめとする「天皇の神話」を見ても「文化的な継続性がある」ことが分ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BE%A1%E4%B8%AD%E4%B8%BB%E5%B0%8A
要するに、日本の天皇は元祖「天帝(天皇)」の末裔として、本来は世界で只ひとり本当の意味で「天子」を名乗る資格があるのだと考えられます。
(天子となるには本来「泰山(たいざん)」で「封禅」の儀式をしなければなりません。「泰」とは「太一(たいいつ)」のことで日本では天照大神を祀る「伊勢神宮」のことです)
封禅 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A6%85
太一 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%80
伊勢 http://ise.jimab.net/e4108.html
当時、東アジアでただ一国だけ隋と交流の無かった倭国の「聖徳太子」は、「鮮卑族系の隋帝」に対して「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」と自らが「天子である」ことを明言しました。「天子」とは「天帝が(天下を束ねる者として)つかわした子」のことで本来は「世の中にたったひとり」のはずです。
聖徳太子は、倭国は、なぜ「日出る処の天子」と名乗ったのでしょうか?
そもそも「天帝」は「天皇(てんこう)」とも呼ばれ、後に「地皇」や「人皇」と合わせて「三皇」と呼ばれました。
三皇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9A%87%E4%BA%94%E5%B8%9D
http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/3k5t_01.html
この「天皇」(三皇)は、伏義、女禍などの「苗族などの先住種族の始祖神」であって「チャイニーズの始祖神」ではありません。
天皇(天帝)は『みな無欲恬淡でなんら作為するところはなかったが、その徳のために民俗はおのずから化せられた』という「木徳」の王であり、「苗族系やチベット系、タイ族系などの多様な先住種族」が「天皇を中心に集いまとまっていた」と考えられます。
しかし、5000年ほど前に中国の地域に侵入したチャイニーズは全土を戦乱に巻き込んで拡大し続け、「先住民族」達は東西南北の周辺部に移動していきました。
(ちなみに、前漢代から四神と呼ばれた「東の青龍」「西の白虎」「北の玄武」「南の朱雀」も「遼河の青龍族」や「黄河上流の巴族(白虎族)」などの「先住部族のトーテム」であって青龍族系の出である「劉」家にとっては確かに祖先神ですが、本来チャイニーズにとっては「異民族の神」ですし、四夷(東夷、西戎、北伐、南蛮)なども「四方に異民族がいる」というのは正しくなく、むしろ「異民族のチャイニーズが中央部を奪い取った」だけです。)
歴代の「チャイナの皇帝」は自らを天帝がつかわした「天子」と名乗っていますが、「天帝の権威」を利用しつつも「本当に出てこられると困る」のです。
「天帝の末裔」たちにとっても「どこかチャイナの目の届かない所」に「安住の地を求める」しかありませんし、「東の海から昇る太陽」を信仰する彼らにとってそれは「太陽がやってくる東の海の向こうにあるという伝説の地」であったと考えられます。
(しかも「縄文人」は「江南地方にまで交易」しており東海岸沿いに暮らす彼らとは交流があったはずで、また「陸上民族」がやって来にくく、「日本への移動は実に現実的な選択肢」と言えます。)
遺伝子的な厳密性は確認が難しいでしょうが、伊勢神宮をはじめとする日本の宗教や天之御中主神をはじめとする「天皇の神話」を見ても「文化的な継続性がある」ことが分ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BE%A1%E4%B8%AD%E4%B8%BB%E5%B0%8A
要するに、日本の天皇は元祖「天帝(天皇)」の末裔として、本来は世界で只ひとり本当の意味で「天子」を名乗る資格があるのだと考えられます。
(天子となるには本来「泰山(たいざん)」で「封禅」の儀式をしなければなりません。「泰」とは「太一(たいいつ)」のことで日本では天照大神を祀る「伊勢神宮」のことです)
封禅 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A6%85
太一 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%80
伊勢 http://ise.jimab.net/e4108.html
これは メッセージ 158633 (yahmadasan さん)への返信です.
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