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タイの歴史教科書 日本も過去には、1

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/23 09:27 投稿番号: [157801 / 196466]
中学2年生用
社会科教育読本
「歴史学   タイ2」(タイ語)
教育委員会編

5.タイ国と第二次世界大戦への参画

仏暦2482年(1939)9月3日   ヨーロッパで第二次世界大戦が始まった。
ソンクラーム陸軍元帥を首相とするタイ政府は中立的立場をとることを表明した。

日本がドイツ、イタリアと同盟関係を結び(三国同盟)枢軸国となって以来、タイは戦争が近づきつつある危険を感じていた。そこで、領土保全のため、友好条約に調印し、日本と相互友好関係を保った、同時にタイはイギリス、フランスとも相互不可侵条約を結んだ。(1940年タイ・日友好和親条約、タイ・日相互不可侵条約)

ヨーロッパでの戦闘は当初、ヒットラー率いるドイツが電撃戦でフランスを打ち破った。そしてついにパリと北フランスを占領し、勝利を収めた。ペタン政府はドイツとの停戦条約調印を承認し、政府を南フランスのビシーに移さねばならなかった。タイ政府はペタン政権に文書を送る機会を得て、以前タイが割譲した仏領インドシナのルアンプラバーンとチャンパーの領有権を手に入れようと、国境の変更を要求した。(メコン川東岸地域)=両地域は仏暦2440年にフランスに割譲した領土でタイとフランスの間で国境論争があった。)
要求は自然なものであり、公正なものであると思われていた。フランス政府はタイの要求を拒否した。仏暦2483年11月28日タイと仏領インドシナとの国境で衝突が起こった。

当事   日本は東南アジアに指導力を有し、影響力をもっていた(1940年9月、日本はすでに北部仏印に進駐していた)そこで、調停役としての義務を行使したのである。タイとフランスは東京(トンチン)での会議に代表を送り,ともに東京条約に調印した。(タイ・仏印平和条約)

タイは要求とおりに返却された領土とプラタボーン、スリーソーパン、シャムラートも合わせて手に入れた。その後タイと日本は二国の相互援助と東南アジアの平和維持に努めるという内容の文書に調印した。お互いの同盟関係強化を推進し、二国の経済的結束を固めることになった。領土返還に満足した、タイ国民は日本に対して大いに気を良くした。

仏暦2484年(1941)12月8日日本はハワイ諸島のアメリカ軍基地である真珠湾を攻撃した。同時にフィリピン群島、シンガポール、マライにも電撃戦で進軍し攻撃した。それ以前に日本はタイに兵を派遣しタイを通過するつもりであった。駐タイ日本大使は英領(マラヤ,ビルマ)侵攻のため、日本軍のタイ国領土内通過を要求した。翌朝、仏暦2484年(1941)12月8日日本は軍勢を率いてタイ国内のいたる所に上陸した。プラチュアプリキカン、ナコンシータマラート、、ソンクラーのタイ軍は堅固な日本軍に抵抗して闘った。

そのころ、タイ政府はイギリス政府と連絡をとっていた。イギリス政府はタイが自衛手段に訴えても構わない、と返答した。ピブン・ソンクラーム陸軍元帥率いるタイ政府はタイが日本軍に抵抗し得るかを審議した。結果、軍事力が十分でないことから、政府は日本軍のタイ国内通過と、秘密条約調印を承認した。(日本軍がタイ南部に上陸してから締結した「タイ国領土内通過に関する協定」。タイ日攻守同盟条約
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