■■■中国のチベット侵略■■■
投稿者: popssim7 投稿日時: 2008/03/22 20:34 投稿番号: [157749 / 196466]
■『中国はいかにチベットを侵略したか』
妻、娘、尼僧たちは中国人に繰り返し強姦された。
特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。
拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、 「仏陀に腕を返してもらえ」 と嘲笑された。
大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
馬や車で引きずり殺されていった。
アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに
小便をかけるように命じられた。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」 と中共兵に嘲られ、
挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、
大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。
僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。
リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。
何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。
僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、 「仏陀はどうしたんだ?」 と中共兵に嘲られた。
出典:『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケルダナム 講談社
■ 【毛沢東時代から今までチベットは迫害され続けてきた】
・・・武力鎮圧と平行して、宣伝戦も行われた。4月29日、毛沢東の命令によって、チベットは恐ろしい土地であるというイメージを植え付けるための大々的なメディア・キャンペーンが始まった。チベットでは、活きたまま皮を剥がれ腱を切断されるような身の毛もよだつ拷問に加えて、目をくりぬくような刑罰も日常茶飯事である、といった宣伝が行われた。昔からの偏見も手伝って、この宣伝作戦は効果をあげ、チベットは野蛮な国だというイメージが人々の頭に焼きついた。
古代チベットの神権政治には、確かに暗黒の側面もあった。しかし、総合的な残忍性と犠牲の大きさから見れば、毛沢東政権の方がはるかに邪悪だ。
・・・パンチェン・ラマの父親や家族を含めて、多数のチベット人が批闘会に引き出された。「人々は目、耳、口,鼻から血を流すまで殴られ、手足の骨を折られて気を失った。あるいはその場で死亡した」と、パンチェン・ラマが書いている。チベット史上初めて、自殺が珍しくない行為になった。
圧倒的多数のチベット人が毛沢東政権に抵抗する暴動に加わったため、中国軍はチベット人をすべて敵として扱った。成人男性の大多数がまとめて検挙された。チベット族全体の15〜20%、おそらく成人男性の半数が投獄され、人間以下の扱いを受けて、死ぬまで重労働させられたという。重い犂を引く囚人たちに針金の鞭が打ち下ろされたという。
反乱の平定を行った中国軍は、残虐極まりない行為を行った。ある場所では、死体が山からひきずりおろされて大きな穴に埋められた後、遺族が呼び集められ、中国兵から「我々は匪賊を殲滅した。今日はめでたい日だ。おまえたちみんな、穴の上で踊れ」と言われたという。
残虐行為と平行して、文化の抹殺も進められた。公式に『大破壊』と呼ばれた。毛沢東は宗教を破壊しようと決めていた。僧と尼僧は独身主義を破戒することを強いられ、結婚させられた。経典は肥料にされ、仏画でわざと靴を作らされた。常軌を逸した大破壊だった。僧院や尼僧院はほとんどが破壊され、その跡はまるで戦争で爆撃を受けたような惨状だったという。
パンチェン・ラマによれば、1959年以前にはチベットに2500以上あった僧院・尼僧院が1961年にはわずか70余りに減ってしまった。11万人以上いた僧・尼僧は7000人に減ってしまった。約1万人は国外へ逃亡した。パンチェン・ラマは19年間投獄された。
出典:『マオ 誰も知らなかった毛沢東』 ユン・チアン 講談社
チベット動乱 1959年
■ダライ・ラマ法王日本代表部事務所を支援してくださるようお願い致します。
http://www.tibethouse.jp/home.html
http://tsnj2001.blogspot.com/2008/03/blog-post.html
http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
妻、娘、尼僧たちは中国人に繰り返し強姦された。
特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。
拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、 「仏陀に腕を返してもらえ」 と嘲笑された。
大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
馬や車で引きずり殺されていった。
アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに
小便をかけるように命じられた。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」 と中共兵に嘲られ、
挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、
大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。
僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。
リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。
何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。
僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、 「仏陀はどうしたんだ?」 と中共兵に嘲られた。
出典:『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケルダナム 講談社
■ 【毛沢東時代から今までチベットは迫害され続けてきた】
・・・武力鎮圧と平行して、宣伝戦も行われた。4月29日、毛沢東の命令によって、チベットは恐ろしい土地であるというイメージを植え付けるための大々的なメディア・キャンペーンが始まった。チベットでは、活きたまま皮を剥がれ腱を切断されるような身の毛もよだつ拷問に加えて、目をくりぬくような刑罰も日常茶飯事である、といった宣伝が行われた。昔からの偏見も手伝って、この宣伝作戦は効果をあげ、チベットは野蛮な国だというイメージが人々の頭に焼きついた。
古代チベットの神権政治には、確かに暗黒の側面もあった。しかし、総合的な残忍性と犠牲の大きさから見れば、毛沢東政権の方がはるかに邪悪だ。
・・・パンチェン・ラマの父親や家族を含めて、多数のチベット人が批闘会に引き出された。「人々は目、耳、口,鼻から血を流すまで殴られ、手足の骨を折られて気を失った。あるいはその場で死亡した」と、パンチェン・ラマが書いている。チベット史上初めて、自殺が珍しくない行為になった。
圧倒的多数のチベット人が毛沢東政権に抵抗する暴動に加わったため、中国軍はチベット人をすべて敵として扱った。成人男性の大多数がまとめて検挙された。チベット族全体の15〜20%、おそらく成人男性の半数が投獄され、人間以下の扱いを受けて、死ぬまで重労働させられたという。重い犂を引く囚人たちに針金の鞭が打ち下ろされたという。
反乱の平定を行った中国軍は、残虐極まりない行為を行った。ある場所では、死体が山からひきずりおろされて大きな穴に埋められた後、遺族が呼び集められ、中国兵から「我々は匪賊を殲滅した。今日はめでたい日だ。おまえたちみんな、穴の上で踊れ」と言われたという。
残虐行為と平行して、文化の抹殺も進められた。公式に『大破壊』と呼ばれた。毛沢東は宗教を破壊しようと決めていた。僧と尼僧は独身主義を破戒することを強いられ、結婚させられた。経典は肥料にされ、仏画でわざと靴を作らされた。常軌を逸した大破壊だった。僧院や尼僧院はほとんどが破壊され、その跡はまるで戦争で爆撃を受けたような惨状だったという。
パンチェン・ラマによれば、1959年以前にはチベットに2500以上あった僧院・尼僧院が1961年にはわずか70余りに減ってしまった。11万人以上いた僧・尼僧は7000人に減ってしまった。約1万人は国外へ逃亡した。パンチェン・ラマは19年間投獄された。
出典:『マオ 誰も知らなかった毛沢東』 ユン・チアン 講談社
チベット動乱 1959年
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これは メッセージ 157698 (jingdezhen_de_ciqi さん)への返信です.
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