シナがチベットに侵略して今日がある。
投稿者: kenjirou_mitui88 投稿日時: 2008/03/20 10:27 投稿番号: [157392 / 196466]
チベット民族史は中国共産党の侵略史である。
チベット自治区だけでなく甘粛省・雲南省等もチベット民族の地であったが、シナが侵略してかってに甘粛省・雲南省等を造って漢民族を移住させ中国共産党化している。
六世紀末から七世紀半ばにかけ、吐蕃王朝がチベット高原を統合、842年に王朝は崩壊したが、高原の住人たちは、王国の末裔としての意識、王国が国家事業として翻訳にとりくんだ仏典に依拠した仏教信仰などを紐帯として、一国の民としての連帯感を保ち続けた。
その後、チベット仏教の拡大と共に、ダライ・ラマを指導者に戴く政教一致国家に変貌していく[要出典]。
●中華人民共和国成立後、毛沢東はダライ・ラマ14世と北京で会談したが、無神論を強要した。1951年、中国人民解放軍がチベットのうち、まだガンデンポタンのもとで中国の支配から自立していた西蔵に侵攻。十七ヶ条協定を締結、中国の領土の一部と位置付ける。
●中国は、農奴の状態にあったチベット族を解放したと胸を張った。チベットには、
●多数の漢民族を移住させ、西蔵自治区の区都ラサは、既に漢族が多数派の状態にあると、チベット亡命政府は主張している(中国政府統計によるとラサ人口の八割が蔵族)。
2006年7月1日、青蔵鉄道が開通し、漢民族のチベット流入はさらに拍車がかかるものと思われる。
中国人による支配を嫌ったチベット族は、ヒマラヤを越えて北インド・ムスリに脱出し、ダラムサラにチベット亡命政府を樹立すると共に、チベット人学校を設立し、民族文化の継承に努めている。日本にも、東京・新宿にダライ・ラマ亡命政府日本代表部を開設している。
2008年3月14日には、チベット自治区ラサで、中国政府に対する僧侶や市民の抗議行動が激化し、中心部の商店街から出火、武装警察などが鎮圧に当たり多数の死傷者が出た。チベット亡命政府によると確認されただけで死者は少なくとも80人はいると発表された。それと同時に世界各国の中国大使館前でも中国政府への抗議活動が繰り広げられた。[1]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88
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