日中関係

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マレーシアの歴史教科書 中学生  2

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/20 06:45 投稿番号: [157372 / 196466]
日本語教育
全ての学校で日本語が教えられた。

食料不足の事態
イギリスが支配していたときは米をビルマやタイから輸入していた。
日本支配時代には米は多く輸入されなかった。米不足は深刻な問題であった。

輸送手段は兵士を運ぶ為のものであり、米を運ぶ輸送手段を用意していなかった。また、タイ政府が日本の貨幣価値を信用しないという理由で米を売ることを渋るようになってからは事態はますます、ひどくなった。

インフレーション
日本は役人に給与を与える為にお金が必要であった、イギリス貨幣が使用されなくなったため、「バナナ紙幣」(軍票)を必要に応じて印刷し、その量がどれくらいの量か分からないくらいに発行した。物価上昇は1941年   卵、一個の値段は3セントであったものが1945年には35ドルにも跳ね上がった。

タイメン鉄道建設
マラヤの国民を日本軍自身の目的の為に利用した。タイとビルマ間の鉄道建設に労働者(ロームシャ)を必要とし、マレー人労働者が強制的に使われた。
その数約10万人が犠牲となった。この鉄道建設は「死の鉄路」と呼ばれている。

マラヤの各民族と日本
中国人=1937年中国を侵略した、彼らは全ての中国人が反日であると疑っていた、シンガポールを占領した後、日本軍は数万人の中国人を殺した。
イポーの近くのアンパン村で起きた事件は日本の残忍さを示す一例である。
*二人の日本の憲兵が中国人らに殺された。(アンパン事件)中国人の村長は逮捕され、拷問にかけられ、罪があろうと無かろうと、ずべての中国人は調査もなしに、処刑された。村の住民は出て行くように命じられ、そのあと村は焼かれてしまった。

インド人=日本はインドからもイギリス人を追い払いたかった。彼らはこの時こそ、イギリス人を攻める機会だと思った。私たちの国のインド人の助けがほしかった。この国のインド人がイギリスからの独立を望んでいるのを知っていた。日本はこのインド人たちには友好的な態度を見せた。インド国民(INA)を組織することを助けた。

指導者はスブハス.チャンドラ.ボースであった。彼は反英活動の為、インドを去って日本へ行き、日本からマラヤにやって来た。多くの男女がインド国民軍に入隊し「デリーを目指せ」が合言葉であった。
私たちは日本が自分の為にインド人の魂や感情を利用したことがわかった。
インド人は次第に日本を信用しなくなっていった。

農園が閉鎖されたとき職を失った数千のインド人は「死の鉄路」の建設に強制的に働かされた。インド人は独立の約束は嘘であることに気が付き始めた。反対に日本はインド人を奴隷化していった。インド人も反日グループに参加し、日本人に抵抗した。

マレー人=日本はマレー人と友好関係を保っていた、マレーはマラヤの最大の民族である。日本はいつもマレー人警察官に対し、疑わしい中国人の逮捕を促していた。マレー人は次第に日本の目的を疑い始めた、私たちの国をイギリスから解放すると約束をしていたのに、

しかし、多くの人々は比較してみるとイギリス支配のほうが日本より好いと思い始めたのである。日本支配の残忍さと必要物資や食料の不足が起こり、マレー人は失望し、多くは反日運動に参加していった。

抗日運動
日本支配の残忍さや残酷さが多くの反日感情を呼び起こしたということを学んだ。日本に敵対した最大組織は、反日マラヤ国民軍MPAJAだった。
MPAJA=イギリス官吏の一人であったスペンサー.チャップマン大佐が組織する中国人軍でマラヤ共産党が指導した。

イギリス復帰
日本が降伏してから3週間後にイギリスが戻ってくるまで、民族対立が起きた。
日本支配の結果国民の考え方が変わった。イギリスの権威は失墜した。ナショナリズムの感情は日本支配時代が終わってからより激しくなり政治意識が高まり政治活動も多く繰り広げられ、12年後私たちの国は独立が達成されるのである。
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