正しいシンガポールの歴史
投稿者: keijiban1234 投稿日時: 2008/03/19 21:43 投稿番号: [157288 / 196466]
シンガポールに住む75%〜76%の華人は、イギリス植民地時代に労働力として流入。。。
マレー人をはじめとする地元住人はイギリスの植民地政府に「3級市民」として扱われ、土地を奪われ、一方的な搾取とイギリスからの独立活動への弾圧、虐殺の繰り返しという過酷な植民地支配に苦しんでいました。
その時、侵略者イギリス人の手先として中間搾取などしていた中国人(華人)は悪い奴なのです。。。
戦後できたシンガポールの歴史なんか、マレー人や地元住民から土地を奪い取って住み着いた華人の被害者妄想でしょう。。。。
それとも、シンガポールの歴史には上記のような華人の悪行が書かれているのでしょうか???
華人はマレー人や地元住民の加害者側なのです。。。
だから、1965年8月9日にマレーシア連邦から追放される形で都市国家として分離独立したのです。。。。
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反日マスコミの伝えない親日の話から。。。
参考資料 : マレーシア マハティール首相 黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」
参考資料 : 1991(平成3)年12月 日本軍の上陸50周年特別式典にて
マレーシア ケランタン州(首都コタバルがある州)副知事ロザリー・イソハック
「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」
参考資料 : マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員.
「新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。
あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」
参考資料 :インドネシア アリフィン・ベイ(ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
「魂を失った日本」未央社、57〜65ページより
「日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。
[中略]
(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。
この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。」
参考資料 : 名越二荒之助著『世界から見た大東亜戦争』展転社刊より
昭和63年(1988年)9月 マレーシア ガザリー・シャフェ外相 謝罪する日本の政治家に対して、とくに私(ガザリー・シャフェ外相)が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?
日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。」
この他にもたくさん在るから、自分達で調べてね。。。
マレー人をはじめとする地元住人はイギリスの植民地政府に「3級市民」として扱われ、土地を奪われ、一方的な搾取とイギリスからの独立活動への弾圧、虐殺の繰り返しという過酷な植民地支配に苦しんでいました。
その時、侵略者イギリス人の手先として中間搾取などしていた中国人(華人)は悪い奴なのです。。。
戦後できたシンガポールの歴史なんか、マレー人や地元住民から土地を奪い取って住み着いた華人の被害者妄想でしょう。。。。
それとも、シンガポールの歴史には上記のような華人の悪行が書かれているのでしょうか???
華人はマレー人や地元住民の加害者側なのです。。。
だから、1965年8月9日にマレーシア連邦から追放される形で都市国家として分離独立したのです。。。。
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反日マスコミの伝えない親日の話から。。。
参考資料 : マレーシア マハティール首相 黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」
参考資料 : 1991(平成3)年12月 日本軍の上陸50周年特別式典にて
マレーシア ケランタン州(首都コタバルがある州)副知事ロザリー・イソハック
「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」
参考資料 : マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員.
「新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。
あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」
参考資料 :インドネシア アリフィン・ベイ(ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
「魂を失った日本」未央社、57〜65ページより
「日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。
[中略]
(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。
この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。」
参考資料 : 名越二荒之助著『世界から見た大東亜戦争』展転社刊より
昭和63年(1988年)9月 マレーシア ガザリー・シャフェ外相 謝罪する日本の政治家に対して、とくに私(ガザリー・シャフェ外相)が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?
日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。」
この他にもたくさん在るから、自分達で調べてね。。。
これは メッセージ 157274 (yominokuni56 さん)への返信です.
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