シンガポールの歴史教科書 中学生2
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/19 18:34 投稿番号: [157272 / 196466]
イギリス人の監禁
民間人は監獄に入れられた、男も女も子供も、町からチャンギ監獄まで行進しなければならなかった。イギリスと、オーストラリア、インド兵士は軍人の捕虜収容所に送られ、多くの兵士が獄死した、また、多数の捕虜がタイとビルマの鉄道建設に送り出され約45000人が死亡したといわれている。
(タイのノンプラドックからビルマのタムピサヤまでの415km軍用鉄道42年10月開通)
中国人処罰
シンガポール在住の中国人が抗日中の中国を援助するために資金を与えていたので処罰することに全力を尽くした。すべての中国人、特に18歳から50歳までの男性は検証(適正架橋摘発と粛清の調査=適正と断じられた者は即時処分=虐殺)
される為に何箇所もの集合場所(ジャラン、プサール、パーガー)に出頭しなければならなかった。小屋も食料も飲料も与えられず何千人もの中国人が貨物自動車に乗せられ、チャンギ海岸や東海岸に連行され、グループごとに縛られ、撃たれ、銃剣で死に至るまで刺された。
5000万ドルの贈り物
日本に反抗した中国人に献金を出させるという罰を課した。
シンガポール、マラヤの中国人社会に対して献金の集金が強いられ、5000万ドルが日本に支払われた。彼らは金を集める為家を売りだしても誰もそれらを買おうとせず、2900万ドルしか集められず、残りは日本の銀行から借りねばならなかった。
ケンペイタイの恐怖
スパイによって日本軍に通報されたものはケンペイタイに連れて行かれ、拷問を受けた。一般的な拷問のひとつは「水責め」であった。とらわれた人は寝かせられ大量の水が鼻から口から流し込まれた、この仕打ちを数週間繰り返し行われた。
これは メッセージ 157271 (yominokuni56 さん)への返信です.
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