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誰も知らなかった毛沢東 チベット動乱 2

投稿者: shinnosuke19j 投稿日時: 2008/03/18 00:14 投稿番号: [156960 / 196466]
『マオ   誰も知らなかった毛沢東』    ユン・チアン   講談社

下巻   第24章    チベット動乱

1959年

・・・武力鎮圧と平行して、宣伝戦も行われた。4月29日、毛沢東の命令によって、チベットは恐ろしい土地であるというイメージを植え付けるための大々的なメディア・キャンペーンが始まった。チベットでは、活きたまま皮を剥がれ腱を切断されるような身の毛もよだつ拷問に加えて、目をくりぬくような刑罰も日常茶飯事である、といった宣伝が行われた。昔からの偏見も手伝って、この宣伝作戦は効果をあげ、チベットは野蛮な国だというイメージが人々の頭に焼きついた。

古代チベットの神権政治には、確かに暗黒の側面もあった。しかし、総合的な残忍性と犠牲の大きさから見れば、毛沢東政権の方がはるかに邪悪だ。

・・・パンチェン・ラマの父親や家族を含めて、多数のチベット人が批闘会に引き出された。「人々は目、耳、口,鼻から血を流すまで殴られ、手足の骨を折られて気を失った。あるいはその場で死亡した」と、パンチェン・ラマが書いている。チベット史上初めて、自殺が珍しくない行為になった。

圧倒的多数のチベット人が毛沢東政権に抵抗する暴動に加わったため、中国軍はチベット人をすべて敵として扱った。成人男性の大多数がまとめて検挙された。チベット族全体の15〜20%、おそらく成人男性の半数が投獄され、人間以下の扱いを受けて、死ぬまで重労働させられたという。重い犂を引く囚人たちに針金の鞭が打ち下ろされたという。

  反乱の平定を行った中国軍は、残虐極まりない行為を行った。ある場所では、死体が山からひきずりおろされて大きな穴に埋められた後、遺族が呼び集められ、中国兵から「我々は匪賊を殲滅した。今日はめでたい日だ。おまえたちみんな、穴の上で踊れ」と言われたという。


  残虐行為と平行して、文化の抹殺も進められた。公式に『大破壊』と呼ばれる運動で、チベットの生活習慣全体が「後進的で不潔で無用」であるとして激しく攻撃された。

毛沢東は宗教を破壊しようと決めていた。僧と尼僧は独身主義を破戒することを強いられ、結婚させられた。経典は肥料にされ、仏画でわざと靴を作らされた。常軌を逸した大破壊だった。僧院や尼僧院はほとんどが破壊され、その跡はまるで戦争で爆撃を受けたような惨状だったという。

パンチェン・ラマによれば、1959年以前にはチベットに2500以上あった僧院・尼僧院が1961年にはわずか70余りに減ってしまった。11万人以上いた僧・尼僧は7000人に減ってしまった。約1万人は国外へ逃亡した。

チベット人に特に大きな精神的苦痛を与えた命令は、仏教による葬式を禁じたことだった。
毛沢東はパンチェン・ラマに対して10年間にわたる投獄を含め、さまざまな迫害を行った。
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