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チベットはグーシ・ハーン王朝でした。

投稿者: sintyou5 投稿日時: 2008/03/17 22:13 投稿番号: [156902 / 196466]
>1642年に、西モンゴル・オイラト族のホショード部の指導者グーシ・ハーン(トゥルバイフ)がチベットに樹立した王朝。この王朝の支配者は代々の熱心なダライラマ信者であり、この王朝の成立により、チベット仏教界におけるダライラマの地位は劇的に向上し、宗派をこえた政治・宗教の最高権威としての地位が確立された。18世紀初頭、ダライラマの継承者をめぐって王族内に激しい対立が生じ、ジュンガル部(1717年)、清朝(1718年、1719年 - 1721年)など外部勢力を導きいれての内紛を起こして衰え、1723-24年、清朝の雍正帝に征服された。

1637年、ホショード部のトゥルバイフ(グーシ・ハーン)は、オイラト各部の連合軍を率いて青海地方に遠征、敵対勢力を制圧した。トゥルバイフはラサに上り、ダライ・ラマ5世から「シャジンバリクチ・ノミン・ハーン(護教王)」の称号を授けられた。

トゥルバイフは、同盟部族であるジュンガル部の指導者ホトゴイチンに自分の娘アミンターラと「バートルホンタイジ」の称号を与えてオイラート本国に帰還させ、また、オイラト本国に残した兄の子オチルトにホショード部の本家を次がせる一方、自身が相続する部衆を全て青海に呼び寄せ、この手勢をもって、チベット全土の征服に乗り出した。

1642年、中央チベットの覇者ツァントェ王の本拠地シガツェを一年間の攻城戦の後に陥落させると、占拠したサムドゥプツェ宮殿においてチベット諸侯をならべて「チベットの王」に即位するとともに、ダライラマ5世をシガツェに招いて、「チベット十三万戸」、すなわちヤルンツァンポ河流域を主とするチベットの中枢部を寄進、ここにダライ・ラマ政権が発足する。

トゥルバイフの子孫は以後四代にわたってチベット・ハーン位を継承したが、1717年、ジュンガルの侵攻を受けて、直系は絶えた。

青海地方に居住していた傍系王族たちも1723年 - 1724年に清朝の征服を受け、チベット各地に保有していた権益をすべて没収され、チベットに対するホショード支配は終焉を迎えた。>>


そんなに、平和なお国柄では無い。

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