日中関係

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カンボジアの歴史教科書  8年生用 2

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/09 06:30 投稿番号: [155736 / 196466]
カンプチア住民の沸き起こる愛国心(日本がフランスと戦うために煽った)に対してフランスは自己の指導方針で別の方向へ受けようとしていた。

日本のファシストの策力
日本の帝国主義者たちは昔からインドシナ進出の意図をもっていた。
日本経済に役立つ豊富な資源を持っているだけではない、その上に東南アジア諸国に対して日本帝国の拡大主義政策を進める為のもっとも重要な戦略上の位置をしめていたのである。

ヨーロッパ戦線において日本の同盟国ドイツにフランスが敗れた隙をついて、日本はフランスに強制して、先に述べたような条約を調印させたがこれはフランスをインドシナから少しづつ放逐するためであった。

インドシナ方面の日本軍はその侵略政策と拡大政策に利用する為フランス植民地政府を掌握した。経済面では日本はインドシナの全ての市場を独占する手段を手に入れようと努めた。

日本製品のインドシナ市場への流入を図り日本はフランス植民地主義者達に関税法の廃止を強制した(1941年6月)


この他、1945年初め60万人いたインドシナ方面の日本軍への補給を責任をもって行うようフランスに強要した。

日本の指令はインドシナ銀行に次に示すような多額の金額を提供させるように仕向けるものであった。
1940年=600万リエル
1941年=5800万リエル
1942年=8660万リエル
1943年=1億1720万リエル
1944年=3億1600万リエル
を要求したが、当事のインドシナ全体の予算は2億1900万リエルであった。この金額を日本製品への代価として清算しなければならなかった。がしかし、実際には代価に見合うに日本製品などありはしなかった。これはインドシナ人民に対する新たな重荷であった。

さらに、日本はフランスに強制して、カンプチア農民に田畑を供出させ、ジュート、ヒマなど、日本軍需品のための工業用植物を植えさせた。

これが元で1944年から1945年までの間にカンプチア人民の一部が餓死することとなった。

政策面では日本はタイの反動的政府(ピブン内閣)をそそのかしインドシナでフランスと戦争をさせた(1940年12月〜41年1月)そして   日本は戦争を収拾するために中立の立場をとり、バッタンバン州とシエムレアブ州、コンポントム州、ストゥレン州のそれぞれの一部をタイに割譲するように強要した。

日本は2つのごまかしのスローガンを掲げた。{大東亜共栄圏}「外国のくびきからの解放のための歴史的使命」である。

「ユバン」という青年団を組織した、これはソン・ゴク・タンとポック・チューンの二人を利用して、フランスから権力を奪取する力を養成し、親日傾向の青年達に「大クメール」民族主義思想を鼓舞するものであった。

フランスと日本の帝国主義者たちはカンプチア人民の財産を奪いカンプチア人民に何も考えさせないようにごまかしておく為の策略を考え、また、互いに権力を奪い取る隙を覗っていた。
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