日中関係

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Re: 日中関係

投稿者: boston_redsox_xx 投稿日時: 2008/01/29 11:50 投稿番号: [151920 / 196466]
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抗日戦争と中国革命を伝えた外国人ジャーナリストたち

  1969年、アメリカ大統領に就任したニクソン氏は、中国との関係改善を考えていた。ニクソン大統領のこの姿勢に注目した毛沢東主席は、慎重に考えや末、時機を逸することなく適正な判断を下す。1970年10月1日、毛沢東主席は天安門の楼上で古い友人であるエドガ・スノー夫妻と会見し、『人民日報』はその翌日に会見の写真をトップに掲載した。同年12月18日、毛沢東主席は再びスノー氏と会見して、ニクソン氏の中国訪問に歓迎の意を示した。1971年7月、キッシンジャー大統領補佐官は秘密裏に中国を訪問し、翌年の2月にニクソン大統領は自ら中国を訪問、双方は上海で『共同コミュニケ』を発表した。中国指導者がエドガー・スノー氏を中米関係の橋渡し役に選んだ理由は、抗日戦争を含め、彼が数十年間にわたって中国人民を支持し、援助してきたこととは決して無関係ではない。
  エドガー・スノー氏は1936年7月15日から1971年12月18日にかけて数度にわたり毛沢東主席を訪問し、取材している。1936年の夏、エドガー・スノー氏は、初めて延安を訪れた。命の危険を冒しての延安入りである。彼は1937年から1938年にかけての中国滞在レポートを『中国の赤い星』という本にし、イギリス、アメリカで出版した。この本の出版で、抗日戦争を含む中国革命が世界に伝えられたのである。
  ドイツ人記者のハンス・シップ氏は中国山東省の抗日戦線の根拠地に入った最初の外国人記者である。彼は真実を追究する厳格な視線で中国軍と人民の抗日戦争を取材し、その実情を報道した優秀な記者であり、必要な時には武器を手にして戦い抜く不屈の戦士でもあった。1941年の秋、日本侵略軍は山東省の沂蒙山区に対する掃討作戦を計画していた。この時、八路軍はシップ氏の安全を考えて前線から離れるように勧告したが、彼は反撃作戦に参加すると言って前線に留まり、根拠地の党・政府・軍隊の幹部たちとともに行軍しながら取材した。シップ氏が行動をともにした中隊は、移転途中の沂南県崖子郷一帯で日本軍の旅団に包囲され、7名の師団級幹部と数百名の八路軍兵士とともにシップ氏も戦死した。シップ氏は自らの生命で中国の将兵らとともに、抗日英雄の詩歌を綴ったのである。
  抗日戦争の前線で活躍した外国記者には、アメリカ人記者のアンナ・ルイス・ストロング氏、スメドレー氏、イギリス人記者のジャームス・バートラム氏の名前もある。中国に対する日本の侵略戦争に反対し、中国人民に同情を寄せた彼らは、生命の危険を顧みず、自らのペンで抗日戦争を戦い抜く中国人民の堅忍不抜の精神を報道した。彼らの報道によって中国人民は国際的な同情と支持を獲得し、他のジャーナリストも中国人民の抗日戦争を力強く支持した。ここで特筆すべきは、先ごろ北京で90歳の誕生日を迎えたイスラエル・エプスタイン氏である。ポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人であるエプスタイン氏は、日本軍国主義の中国侵略戦争を心から憎み、何度も抗日戦争の前線や根拠地に入り、そのペンで日本侵略者に抵抗する中国人民の英雄的闘争を報道した。彼の報道は「極めて優れた戦場レポート」と賞賛されている。彼は毛沢東をはじめ中国共産党の高級指導者を取材し、孫中山(孫文)の夫人である宋慶齢氏に協力し、国際友好人士に呼びかけて資金や物資を集めて中国の抗日戦争を支援した。新中国建国後、宋慶齢氏の招きに応じて彼は再び中国に戻り、新中国の建設に参加し、後に中国に帰化した。2005年4月17日、エプスタイン氏の90歳の誕生日には、胡錦涛中国国家主席が彼の自宅を訪れ、その長寿を祝っている。胡錦涛主席は、その祝辞の中で「長い間、……あなたは中国で起こった偉大な変革を記録し、世界に中国の実情と成果を客観的かつ如実に伝えてきた」と述べ、エプスタイン氏を優れた国際主義の戦士と高く評価した。


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