あらためて
投稿者: shimazu_yoshihiro_2008 投稿日時: 2008/01/04 11:31 投稿番号: [150724 / 196466]
>気合の入ったHNにご挨拶を致します。
これはまたご丁寧なかたですね?気合がはいってるかどうかを判定する貴方の基準はなんですか?映画好きですか?映画でも難しくて意味のわかりにくい映画は二度、三度と鑑賞することにしているものですから(笑)
>「ステガマリ」の意気を期待させて頂きます。
ところで、昨夜は、貴方の質問する意図がまったくわからずに自分なりにHPを検索した上で「ステガマリ」の意味を知らなかったものとしては、HNの由来かと思いましてね、一応調べた上で軽く返事したんですが、考えすぎかもしれませんが貴方何か期待デモしているようですが、「ステガマリ」の意気を期待させて頂きます、ってどういうことですか?深く考えもせずに軽く流しちゃいましたが、貴方の投稿のちょっと後に続くレスを拝見するとなんとなく不気味に思ったので改めて再度返信をやり直させていただきます。
島津義弘は織田信長と同じくして戦国時代歴史上の人物。
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島津義弘
天文4年7月22日(1535年8月21日)〜 元和5年7月21日(1619年8月30日)
薩摩の戦国武将。
木崎原の戦い、朝鮮出兵、関ヶ原の退き口で活躍し名を馳せた。
島津家第15代貴久?の二男として伊作の亀丸城に生まれる。兄に義久、弟に歳久、家久。母は入来院重聡女(むすめ)。家久のみは異母兄弟。
初名は又四郎忠平または義珍(よしかど)。後年、兵庫頭義弘と改める。老いて惟新斎と号す。
天正16年(1588、義弘54歳)、従五位下侍従。慶長4年(1599、義弘65歳)従四位下宰相。また、大正7年(1914)に正三位を贈られる。
島津家第17代目当主(家督を継がなかったとする説もある)。
以下、名を義弘と統一し年齢は数え年とする。
幼少の頃、祖父日新斎?(じっしんさい)から軍法戦術の秘訣を学ぶ。兄弟のうち義弘、家久は最も勇武を好み、木製の刀槍で技を鍛えたという。日新斎は義弘を「雄武英略をもって他に傑出する」と評している。
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戦国wikiより引用転載
これは メッセージ 150688 (juanes444 さん)への返信です.
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