Re: 馬鹿は発生源から断たなければダメ
投稿者: sintyou5 投稿日時: 2007/12/26 21:03 投稿番号: [150213 / 196466]
おう、久しぶり。今日は、今までの返答をまとめてしとおこう。アホ共に。
チベット、モンゴルと中国の関係について。
記憶障害負けん気関西馬鹿奥様Toka、うざいからな。
印象薄いって。強がり言ってかわいいね。負けん気が強くて。
世界史を語ると長いから、清朝から言っておこう。
しょうが無い。出血大サービス。100万年待たずに答えてやろうね。
よく読ましてあげとこ。
清は、康煕帝時代、ロシアのピョートル大帝の西進と、モンゴル族、チベット族からの攻撃を受けた。
ピョートル大帝は、ロシアをヨーロッパの強大国にした大偉人。
ロシアはシベリアを西進し、中国満州(清の出身地だな)へ進出してきた。
清の名君、康煕帝はピョートル大帝と直接対決し、ロシアとはネルチンスク条約(清にとって有利な条約)を結び、アムール川上流のアルグン川、シルカ川にそそぐゴルビツァ川と外興安嶺をむすぶ線を国境とした。
モンゴルは、タタール部、オイラート部と云った覇権争いから、オイラートの一部族ジュンガル部のガルダン・ハンと云う人物が出現した。
オイラート部には、明の時代、土木の変でも、もの凄く痛い目をみている。
ガルダン・ハンはチベットの仏教の僧侶(僧侶が戦争するか?)で、
チベットのダライ・ラマ5世と同盟を結び、清に攻撃を加えた。
んで、清の康煕帝は、親征しこの両者を撃破、勢力圏に治めた。
元々、中国とモンゴル、チベットは歴史的に抗争が絶えなかった国々で、
攻めたから、攻められたのだ。
世界史を知らんくせに、偉そうに口叩く、
記憶障害負けん気関西馬鹿奥様などが、しゃしゃり出てくる所では無いとしか言えないが。
清から中華民国、中華人民共和国へ続く正当性が何時崩れたのだろう?
チベットは嘗てモンゴルと組み、清へ攻撃を仕掛けた以上攻撃され返されたのは仕方無い点もあるんじゃない?しょうがないね。
まあ、記憶障害負けん気関西馬鹿奥様が、理解出来るのは、一億年後の事だろうね。
死んだ振りしている人を、死んだ人と断定書したり、中国を死んだ振りと例えてみたり。
馬鹿は相通じる物が有りそうだよね。
。
これは メッセージ 150211 (kitaguninosaru1 さん)への返信です.
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