Re: 嘘なんですか、yominokuni56さん ?
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/11/14 06:35 投稿番号: [148206 / 196466]
>貴方は、福田康雄の父親の福田赳夫が岡本公三を釈放したので、
それがとんでもない間違いで、 (お互いに確認したはずです)
記憶違い(貴方がそう説明した)などというレベルのものではないでしょう、と申し上げました。
で どうしたいの?(笑) とんでもない間違いでもないんじゃないの?兄を超法規的に放出してるんだけどね、その結果 以下の事件を引き起こしたといっても おかしくは無いだろう(笑)
[編集] テルアビブ空港乱射事件
1972年5月30日、奥平剛士、安田安之、岡本公三らがイスラエルのテルアビブのロッド国際空港(現在のベン・グリオン国際空港)の旅客ターミナルをチェコ製の自動小銃Vz 58と手榴弾で攻撃。ターミナルに居合わせた民間人ら100人以上を殺傷(死者24人)し、民間人を狙った無慈悲な無差別テロ事件として国際的な非難を呼んだ。当時はパレスチナ人によるテロ行為への警戒が厳しく、そのためPFLPは日本人による攻撃なら警戒されないだろうと考えて日本赤軍に攻撃を依頼したとされる。岡本公三が逮捕され、残りの2人は自殺した。
なお、この事件の首謀者たちは「日本赤軍」とは名乗っておらず、日本赤軍としての意識もないので、厳密には日本赤軍の起こした事件ではなく、日本赤軍の前史に属する事件ともいえる。
[編集] ドバイ日航機ハイジャック事件
1973年7月20日、丸岡修と4人のPFLPメンバーが、パリ発アムステルダム経由東京行きの日本航空のボーイング747型機をアムステルダム離陸後ハイジャックした。
その後、アラブ首長国連邦のドバイ国際空港、シリアのダマスカス国際空港等を経由し、リビアのベンガジ国際空港へ向かった。乗員乗客141人の解放後機体をベンガジ空港で爆破し、リビア当局に投降した後、リビア政府の庇護の元逃亡した。
[編集] ハーグ事件
1974年9月13日、西川純、奥平純三、和光晴生の3人が、拘束されたメンバーの釈放を目的にオランダのハーグにあるフランス、アメリカ等の西側諸国の大使館を占拠した。フランス政府は超法規的措置として逮捕していたメンバーを釈放した。
[編集] クアラルンプール事件
1975年8月4日、拘束されているメンバー及び、仲間に引き入れようと目をつけた新左翼活動家(主として、元は同じ共産同赤軍派だった者だが、中には他の組織の者も含まれていた)の釈放を目的に、マレーシアの首都クアラルンプールにある、アメリカとスウェーデンの大使館を占拠し、アメリカの総領事らを人質に取った。日本政府(首相:三木武夫)は要求に応じ、超法規的措置として日本赤軍への参加を拒否した2人を除く5人(日本赤軍・西川純、戸平和夫、赤軍派・坂東国男、松田久、東アジア反日武装戦線・佐々木規夫)を釈放した。
なお、連合赤軍の坂口弘は、死刑が確実であるのにもかかわらず、同志殺しへの反省からか釈放を拒否した。
[編集] ダッカ日航機ハイジャック事件
1977年9月28日に、インドのボンベイ国際空港を離陸直後の日本航空のDC-8型機をハイジャックし、バングラデシュのダッカ国際空港に強制着陸させた。福田赳夫首相は要求(クアラルンプール事件と同じような内容)に応じ、「超法規的措置」として拘束中のメンバーら6人(日本赤軍・奥平純三、東アジア反日武装戦線・大道寺あや子と浴田由紀子、赤軍派・城崎勉、獄中組合・泉水博、仁平映)を解放し、600万ドルの身代金を支払った。
釈放されたメンバーはダッカ国際空港で日本赤軍と合流し、シリアのダマスカス空港で給油した後、アルジェリアのダニエル空港で人質を解放した。日本政府がSATを設置する要因となった事件。
[編集] ジャカルタ事件
1986年5月14日に、ジャカルタのアメリカ大使館にロケット弾が発射された。その後発射元のホテルの部屋から地元警察が城崎勉の指紋を採取したため、日本赤軍の犯行と断定された。
それがとんでもない間違いで、 (お互いに確認したはずです)
記憶違い(貴方がそう説明した)などというレベルのものではないでしょう、と申し上げました。
で どうしたいの?(笑) とんでもない間違いでもないんじゃないの?兄を超法規的に放出してるんだけどね、その結果 以下の事件を引き起こしたといっても おかしくは無いだろう(笑)
[編集] テルアビブ空港乱射事件
1972年5月30日、奥平剛士、安田安之、岡本公三らがイスラエルのテルアビブのロッド国際空港(現在のベン・グリオン国際空港)の旅客ターミナルをチェコ製の自動小銃Vz 58と手榴弾で攻撃。ターミナルに居合わせた民間人ら100人以上を殺傷(死者24人)し、民間人を狙った無慈悲な無差別テロ事件として国際的な非難を呼んだ。当時はパレスチナ人によるテロ行為への警戒が厳しく、そのためPFLPは日本人による攻撃なら警戒されないだろうと考えて日本赤軍に攻撃を依頼したとされる。岡本公三が逮捕され、残りの2人は自殺した。
なお、この事件の首謀者たちは「日本赤軍」とは名乗っておらず、日本赤軍としての意識もないので、厳密には日本赤軍の起こした事件ではなく、日本赤軍の前史に属する事件ともいえる。
[編集] ドバイ日航機ハイジャック事件
1973年7月20日、丸岡修と4人のPFLPメンバーが、パリ発アムステルダム経由東京行きの日本航空のボーイング747型機をアムステルダム離陸後ハイジャックした。
その後、アラブ首長国連邦のドバイ国際空港、シリアのダマスカス国際空港等を経由し、リビアのベンガジ国際空港へ向かった。乗員乗客141人の解放後機体をベンガジ空港で爆破し、リビア当局に投降した後、リビア政府の庇護の元逃亡した。
[編集] ハーグ事件
1974年9月13日、西川純、奥平純三、和光晴生の3人が、拘束されたメンバーの釈放を目的にオランダのハーグにあるフランス、アメリカ等の西側諸国の大使館を占拠した。フランス政府は超法規的措置として逮捕していたメンバーを釈放した。
[編集] クアラルンプール事件
1975年8月4日、拘束されているメンバー及び、仲間に引き入れようと目をつけた新左翼活動家(主として、元は同じ共産同赤軍派だった者だが、中には他の組織の者も含まれていた)の釈放を目的に、マレーシアの首都クアラルンプールにある、アメリカとスウェーデンの大使館を占拠し、アメリカの総領事らを人質に取った。日本政府(首相:三木武夫)は要求に応じ、超法規的措置として日本赤軍への参加を拒否した2人を除く5人(日本赤軍・西川純、戸平和夫、赤軍派・坂東国男、松田久、東アジア反日武装戦線・佐々木規夫)を釈放した。
なお、連合赤軍の坂口弘は、死刑が確実であるのにもかかわらず、同志殺しへの反省からか釈放を拒否した。
[編集] ダッカ日航機ハイジャック事件
1977年9月28日に、インドのボンベイ国際空港を離陸直後の日本航空のDC-8型機をハイジャックし、バングラデシュのダッカ国際空港に強制着陸させた。福田赳夫首相は要求(クアラルンプール事件と同じような内容)に応じ、「超法規的措置」として拘束中のメンバーら6人(日本赤軍・奥平純三、東アジア反日武装戦線・大道寺あや子と浴田由紀子、赤軍派・城崎勉、獄中組合・泉水博、仁平映)を解放し、600万ドルの身代金を支払った。
釈放されたメンバーはダッカ国際空港で日本赤軍と合流し、シリアのダマスカス空港で給油した後、アルジェリアのダニエル空港で人質を解放した。日本政府がSATを設置する要因となった事件。
[編集] ジャカルタ事件
1986年5月14日に、ジャカルタのアメリカ大使館にロケット弾が発射された。その後発射元のホテルの部屋から地元警察が城崎勉の指紋を採取したため、日本赤軍の犯行と断定された。
これは メッセージ 148182 (chinotabibito さん)への返信です.
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