満州国建国の歴史 日本の侵略構想、、、
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/10/29 06:57 投稿番号: [147623 / 196466]
リットン派遣団(1932年)
1935年(昭和十年)5月天津、チャハル事件のさなか、日本外務当局と中国国民政府の現実的な妥協策を提示する。
中国側の提示三原則
1.日中両国が相互に国際法上の完全な独立を尊重すること。
2.両国は真正の友誼を維持すること。
3.両国内に起こった事件は全て平和的外交手段によって解決する。
日本側の提示三原則
1.中国側は排日言動の徹底的取り締まりを行い、欧米依存政策から脱却して対日親善政策を採用すること。
2.中国は究極において「満州国」を正式に承認する方向で、さしあたり、満州国の独立を事実上黙認すること。
3.外モンゴル等よろの赤化の脅威排除に対して、中国側は日本に協力すること。
(広田三原則)
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リットン派遣団
昭和7年(1932)
国際連盟理事会満州撤兵勧告案が
賛成13(対
反対1(日本)で可決され調査団の満州派遣が採択された。
昭和7年2月29日(1932)リットン調査団
来日
昭和7年3月1日(1932)
満州国建国宣言
昭和7年10月2日日本政府
リットン報告書を公表する。
昭和7年11月21日国際連盟で松岡洋祐
リットン報告書に反論
昭和8年(1933)国際連盟満州撤退勧告案
42対1(日本)で採択される。
リットン報告書はきわめて日本側に妥協的なものであったが日本は満足せず、さらに、強硬路線を突き進んだ。
*「満州国は承認できない。」
*「満州国の日本権益は承認」
*「満州の自治(その自治政府には日本人を主体とする外国人顧問を任命する)」
*「日中両国間の経済提携の促進」
などを提案
昭和8年(1933)に入り、日本軍は山海関占領・熱河進撃し、
列国を刺激し、
2月24日国際連盟総会においてリットン報告書を承認し、アメリカのスティムソン国務長官の「満州国不承認主義を指示する決議」を採択した。日本の完全なる孤立、、42対1(日本)棄権1(シャム=タイ)
そして、
昭和8年3月27日(1933)国際連盟を脱退をする。
国際的にも完全に孤立化し、なおも中国強硬軍事政策、満州を完全にその支配下に置く政策を強行しつづけた。
最初に中国大陸侵略という構想があっての事ではなかったでしょうかね。
これは メッセージ 147622 (yominokuni56 さん)への返信です.
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