Re: 十二国記見ました
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/10/18 00:28 投稿番号: [146985 / 196466]
>陽子の初勅以降が気になって気になって、、、、小説買っちゃいました^
小説版を立ち読みしてやっといくつかの事柄の漢字と意味が分かりました。
>ここまで専制君主制を再現した小説なかなかはありませんしそれを民主主義への転換を面白く描ける作家さんがいたのには驚きました
この世界の王は「専制君主」というより「封建制の中の君主」という感じです。
(王は無謀が過ぎると麒麟とともに死んでしまいますし、世襲はできませんし専制とは言えないと思います)
封建制というのは、皇(帝)によってなされる「国を収めるに足る人物」に対し「移り住むべき国を指定し王として立てる行為」であり、多くの場合「封じられた国で一生を過ごす」わけでまさに「封じる」行為そのものです。
その意味でこの世界はまさに「どの国の麒麟か」まで生まれる前(果実の段階)で分かっていますし封じられる国も十二に限定されています。
(以前「九州が原点だろう」と言いましたがよく見てみると各国(少なくとも慶国は)「九州」でできていますし、「十二」は木星を起点とする十二星であり天皇(てんこう)の十二氏族のことでしょう。中央の黄海を治めるのが西王母だとか、慶や堯、舜などまさに「天皇や倭のルーツ」としてのキーワードが次々登場していて驚かされます)
ちなみに日本の場合、藩や州が国ですが、天皇が封じるわけではなくたいていの場合幕府の征夷大将軍が封じるものですし、天皇の存在は「専制君主」とは程遠くはじめから「日本中の各国共通のシンボル」として機能してきたと言えます。
>中国には専制君主制への怨念以外歴史の残骸は残っていないようですね
チャイナ的発想は言わば「剛構造」であり、「誰も逆らうことのできない絶大な権力と権威を握れば、永続的に世が治められる」という発想ですが、「権力は必ず腐敗し滅びるもの」であって、実は「結果的」にはこれがもっとも「短命で浅はかな考え方」です。
一方、日本の天皇が「古代より現代に至るまでの永続性を持っている」のは、「柔構造」であり、「権威」と「権力」を分離し、権力は時の幕府・政府の委譲したことにあると思います。
その結果、「時の権力者は次々変わり」ながら「日本の文化文明は維持され続ける」ということです。
チャイナでは権力者ごと王朝が毎回「屋台骨から滅んで無政府状態」になってしまい、次の王朝は前王朝の文化を否定するので、いつまでたっても文化文明は蓄積されていきません。
(物質的なものは使いまわしても、所詮「拾い物」に過ぎず「自分の祖先から伝わったもの」ではありません)
また、古代王朝を支えてきた、農具や武器に至るまで「創意工夫を凝らしさまざまなメカニズムを作り上げてきたある民族」がいたはずですし、「今も東アジアのどこかにはその末裔たちがいる」はずで、その「匠の技」は土木技術にせよ農作物の品種改良にせよ芸術、料理、酒に至るまで「突出していておよそ隠せるものでは有り得ない」はずですが、大陸の戦乱に告ぐ戦乱の中で「一体どこに避難してしまった」と考えるべきでしょうか。(私には今のチャイナには見出せません。)
小説版を立ち読みしてやっといくつかの事柄の漢字と意味が分かりました。
>ここまで専制君主制を再現した小説なかなかはありませんしそれを民主主義への転換を面白く描ける作家さんがいたのには驚きました
この世界の王は「専制君主」というより「封建制の中の君主」という感じです。
(王は無謀が過ぎると麒麟とともに死んでしまいますし、世襲はできませんし専制とは言えないと思います)
封建制というのは、皇(帝)によってなされる「国を収めるに足る人物」に対し「移り住むべき国を指定し王として立てる行為」であり、多くの場合「封じられた国で一生を過ごす」わけでまさに「封じる」行為そのものです。
その意味でこの世界はまさに「どの国の麒麟か」まで生まれる前(果実の段階)で分かっていますし封じられる国も十二に限定されています。
(以前「九州が原点だろう」と言いましたがよく見てみると各国(少なくとも慶国は)「九州」でできていますし、「十二」は木星を起点とする十二星であり天皇(てんこう)の十二氏族のことでしょう。中央の黄海を治めるのが西王母だとか、慶や堯、舜などまさに「天皇や倭のルーツ」としてのキーワードが次々登場していて驚かされます)
ちなみに日本の場合、藩や州が国ですが、天皇が封じるわけではなくたいていの場合幕府の征夷大将軍が封じるものですし、天皇の存在は「専制君主」とは程遠くはじめから「日本中の各国共通のシンボル」として機能してきたと言えます。
>中国には専制君主制への怨念以外歴史の残骸は残っていないようですね
チャイナ的発想は言わば「剛構造」であり、「誰も逆らうことのできない絶大な権力と権威を握れば、永続的に世が治められる」という発想ですが、「権力は必ず腐敗し滅びるもの」であって、実は「結果的」にはこれがもっとも「短命で浅はかな考え方」です。
一方、日本の天皇が「古代より現代に至るまでの永続性を持っている」のは、「柔構造」であり、「権威」と「権力」を分離し、権力は時の幕府・政府の委譲したことにあると思います。
その結果、「時の権力者は次々変わり」ながら「日本の文化文明は維持され続ける」ということです。
チャイナでは権力者ごと王朝が毎回「屋台骨から滅んで無政府状態」になってしまい、次の王朝は前王朝の文化を否定するので、いつまでたっても文化文明は蓄積されていきません。
(物質的なものは使いまわしても、所詮「拾い物」に過ぎず「自分の祖先から伝わったもの」ではありません)
また、古代王朝を支えてきた、農具や武器に至るまで「創意工夫を凝らしさまざまなメカニズムを作り上げてきたある民族」がいたはずですし、「今も東アジアのどこかにはその末裔たちがいる」はずで、その「匠の技」は土木技術にせよ農作物の品種改良にせよ芸術、料理、酒に至るまで「突出していておよそ隠せるものでは有り得ない」はずですが、大陸の戦乱に告ぐ戦乱の中で「一体どこに避難してしまった」と考えるべきでしょうか。(私には今のチャイナには見出せません。)
これは メッセージ 146858 (bakataijzamurai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/146985.html