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国際法における少数者保護問題の輪郭

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/10/13 22:26 投稿番号: [146739 / 196466]
ttp://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/05-23/tsutsumi.pdf

(1)   第1次大戦終結の頃
  国際政治で,人民の自決,国民の自決が言われだしたのは,第1次大戦の頃からである。
  自決の原則の根底にある国民主権,民主主義の考え方は,アメリカ独立,フランス革命にまで遡るが,人民の自決を平和のための原則として具体的に説いたのは,レーニンとウィルソンがはじめであると言われる。
  レーニンの考えの中には植民地などの従属国の解放,社会主義革命などの思想があり,ウィルソンは,政府を選ぶ人民の権利という考え方を基に,民族自決による国民国家の形成が大戦後のヨーロッパの平和に資するとの主張であった。
  ウィルソンは1918年の14か条についての演説などで,敵対しているハプスブルグ帝国,ドイツ帝国,トルコ帝国を解体し,これらの帝国に抑えられていた中東欧の諸民族を解放して,フランスや英国のような西欧型の国民国家とすることを提唱した。
  実際に大戦後の平和条約において,中東欧にはいくつかの国民国家が独立している。
  しかしフランス,英国など連合国側の大国は,広く自決の原則を認めたわけではなく,敗戦国側は民族分布の観点からは不利な取り扱いを受けており,例えばハンガリーの場合などは,相当数の自民族が隣接のルーマニア,セルビアなどに取り込まれる形となって,今日に及んでいる。
  また,いくらかの国境調整に住民投票が行われてはいるが,これも決して一般的ではなかった。

  何よりも注目すべきは,平和維持機構として設立された国際連盟の規約に,自決原則への言及がなかったことである。
  英仏などが,自決原則の明記は国際社会の不安定を招き,危険であるとの見解であったからであるが,自決が連盟規約に入るほどの固まった,一般的な原則にはなっていなかったということなのであろう。

  連盟時代に人民の自決が問題となった事件に,オーランド島の帰属問題がある。

  1920年当時人口25,000人,うち97%がスウェーデン人というオーランド島は,スウェーデンとフィンランドの間に位置し,フィンランドと共に1809年以来ロシア領であったが,1917年フィンランドがロシアから独立した時フィンランドの一部をなしていた。
  その際オーランド島民は,自決の原則に基づいてスウェーデンに帰属することを主張した。
  フィンランド・スウェーデン間の外交問題になり,連盟理事会がこれを取り上げた。
  理事会が任命した報告者委員会は,次のような趣旨を述べ,国家内の少数者には自決の原則は該当しないとの見解を示し,理事会もこれを了承した。

  すなわち,「自決の原則というものは,国際法にはなっていない。また,フィンランドの独立をスウェーデンが承認したとき,スウェーデンは何の留保もしていなかった。領土の帰属は,主権者が決定する。オーランド島民は,人民ではなく,少数者である。国の人民全体と異なり,その一部である少数者には,自決を要求する権限はない。少数者に共同体から離れる権利を認めることは,国際社会の秩序と安定を損ない,無政府状態にしてしまう。これは国家を領域的,政治的実体とする考え方と両立しない。オーランドが外国からの抑圧の下にあるのであれば,状況は異なってくるが,フィンランドはオーランド島民を何ら抑圧しておらず,自治を認めている。」との趣旨の見解である。

  国民の一部である少数者は,自決の原則が認められる「人民」ではないこと,しかし少数者が抑圧,迫害を受けている時は分離独立が認められ得ることが,既にここに示されているが,基本的にこの考え方は今日でも妥当する。
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ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=cfbf4x78a1a1a1jnbe4df4x78a1k&sid=1143582&mid=9
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