Re: 日中関係
投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2007/10/08 20:10 投稿番号: [146521 / 196466]
>1945年の3月には陸海軍は戦闘継続不可能と天皇に上奏したが、再度
一撃与えて講和を有利に運びたいって、言わなかったか?(笑)
陛下がベトー(大権による拒否)を行なったのは、1936年の2.26事件と、1945年のご聖断のときだけです。
>天皇が降伏を認めたのは
一説によれば侍従に
朕の赤子はどのように生活してるか?
て尋ねて、、
***
当時私の決心は第一に、このままでは日本民族は亡びて終ふ、私は赤子を保護する事が出来ない。
第二には国体護持の事で木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みがたたない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。
***
「昭和天皇独白録」148頁
>日本国民を死の淵へ導いたのは
昭和天皇だぜ(笑)
国体護持=日本を守ることですよ。
スターリン・毛沢東らの怒涛の粛正を防がれたのは昭和天皇です。
あのまま「左」に売り渡されていたら、毛沢東の様な粛正屋が日本国中蹂躙しておりましたわ。
筑紫なんか先頭きってやっていたでしょうね〜〜〜。
戦後ブサよくは、だから陛下を目の仇にしたんだよ。
ま〜ブッサヨ君にいわせれば、昭和天皇こそ日本共産化の最大の壁だったという訳さ。
わかったか?
これは メッセージ 146498 (yominokuni56 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/146521.html