Re: ここにいる -漢字と紋のルーツ
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/10/04 13:03 投稿番号: [146355 / 196466]
>お前らの書いた文字の中に漢字があるかい??そして、漢字を最初作ったり、使用したりの国はどこか?>(笑)これだけ分かってくれれば、延々に無駄に争論する必要がなくなるじゃない?
漢字のルーツとなる最古の文字は、今のところ大シ文口文化の「大シ文口胸書」です。
ここは人方であり倭人国のあった場所です。
少なくとも殷末・周代には人方の王家は甲骨文字を知っていたはずです。(「殷王朝の造幣局」だったのですから)
それどころか「亀ト(きぼく)」に用いるアカウミガメなども人方が用意したと考えられますし、占い自体も行ったのかもしれません。
また、殷の青銅器には「とうてつ紋」が刻まれています。
http://www.shwalker.com/beijing/contents/art/200705/index.html
殷人は商人とも言われるように、商売はたけていますが職人系ではなく、「他種族にやらせた」と考えられます。
このような「気の遠くなるような細かい紋」を根気よく刻んだのは、よっぽど「凝り性の職人気質をもつ細工に長けた人々」がいたことを示しています。
さらにこの紋はもともと「こう龍の害を避けるために身体に刻んだ紋」を写したといい、それはまさに倭人の「文身」そのものです。
ところで、「二」という字は「天と地」を表し、「三」は「天・地・人」を表し、その「三界を縦に貫く」ものが「王」であり「主」です。
「渾沌としたひとつの世界(太一)」が「天地に分かれた」ものが「太極(太ニ)」であり、それをしたのが「盤古」です。
また、天地に分かれた世界のいわばアダムとイブが「伏義」と「女か」のニ神とされています。
「伏義」と「女か」はともに「木徳をもつ神」で「天皇の起こり」と言えるでしょう。(古事記にも「盤古」「伏義」「女か」が別名で登場しています。)
横山光輝の殷周伝説
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=5677
を読むと、第一巻で、殷が滅亡したのは、殷帝が「女か」の神殿に参拝するよう妃に勧められたとき、ふざけて「このような美しい女をはべらせたい」と不謹慎な文を神殿に書き記したために、「女か」神の加護が消え去ったからだと描かれています。
(これに根拠があるのか知りませんが、もしこんなことをしたら「女か」を神と崇める「人方」は黙っていられなかったでしょうし、その抗議に腹を立てた殷帝が人方に攻め入ったのかもしれません。また「妃」は「人方人」かもしれません)
さらに春秋時代を支えた哲学・技術者集団である諸子百家は山東半島の付根から派生しています。
兵法の「孫子(孫武)」や「諸葛孔明」も倭人かどうかはともかくまさに「倭人の故地」の出身です。
本来は、「伏義の都」であり「泰山」をかかえる「蓋国」までが人方(倭人)の故地でしたが、殷が王朝を開いたときここを王家の直轄地とし、「商蓋」としました。
商蓋は周代には「魯」となり、孔子の親は魯に住む殷人でした。
漢字のルーツとなる最古の文字は、今のところ大シ文口文化の「大シ文口胸書」です。
ここは人方であり倭人国のあった場所です。
少なくとも殷末・周代には人方の王家は甲骨文字を知っていたはずです。(「殷王朝の造幣局」だったのですから)
それどころか「亀ト(きぼく)」に用いるアカウミガメなども人方が用意したと考えられますし、占い自体も行ったのかもしれません。
また、殷の青銅器には「とうてつ紋」が刻まれています。
http://www.shwalker.com/beijing/contents/art/200705/index.html
殷人は商人とも言われるように、商売はたけていますが職人系ではなく、「他種族にやらせた」と考えられます。
このような「気の遠くなるような細かい紋」を根気よく刻んだのは、よっぽど「凝り性の職人気質をもつ細工に長けた人々」がいたことを示しています。
さらにこの紋はもともと「こう龍の害を避けるために身体に刻んだ紋」を写したといい、それはまさに倭人の「文身」そのものです。
ところで、「二」という字は「天と地」を表し、「三」は「天・地・人」を表し、その「三界を縦に貫く」ものが「王」であり「主」です。
「渾沌としたひとつの世界(太一)」が「天地に分かれた」ものが「太極(太ニ)」であり、それをしたのが「盤古」です。
また、天地に分かれた世界のいわばアダムとイブが「伏義」と「女か」のニ神とされています。
「伏義」と「女か」はともに「木徳をもつ神」で「天皇の起こり」と言えるでしょう。(古事記にも「盤古」「伏義」「女か」が別名で登場しています。)
横山光輝の殷周伝説
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=5677
を読むと、第一巻で、殷が滅亡したのは、殷帝が「女か」の神殿に参拝するよう妃に勧められたとき、ふざけて「このような美しい女をはべらせたい」と不謹慎な文を神殿に書き記したために、「女か」神の加護が消え去ったからだと描かれています。
(これに根拠があるのか知りませんが、もしこんなことをしたら「女か」を神と崇める「人方」は黙っていられなかったでしょうし、その抗議に腹を立てた殷帝が人方に攻め入ったのかもしれません。また「妃」は「人方人」かもしれません)
さらに春秋時代を支えた哲学・技術者集団である諸子百家は山東半島の付根から派生しています。
兵法の「孫子(孫武)」や「諸葛孔明」も倭人かどうかはともかくまさに「倭人の故地」の出身です。
本来は、「伏義の都」であり「泰山」をかかえる「蓋国」までが人方(倭人)の故地でしたが、殷が王朝を開いたときここを王家の直轄地とし、「商蓋」としました。
商蓋は周代には「魯」となり、孔子の親は魯に住む殷人でした。
これは メッセージ 146352 (yuxingjian52japan さん)への返信です.
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