Re: 北斗の拳 −天子のおわす倭国
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/10/04 11:44 投稿番号: [146351 / 196466]
>今でも、ほぼ統一国家として、異民族が大同で共生しているよ。
根本的に違います。
「弾圧して恐怖で従わせる」のは「大同の世」の全く「対極」の世界です。
「大同の世の主催者」というのは、一見「何もしない」ように見えて「そのあり方」そのものが「民を教化」するものです。
ですから、「都を高い城壁で囲む」必要もないのです。
(それが「平安京と長安の根本的な違い」でもあります。)
>中国大陸は、異民族による侵略の洗礼を受けながら、勢力拡大に大同の世になっている。
「チベットで行っている民族浄化」が「大同の世のあり方」だとでもいうのでしょうか
チャイナは「ますます大同の世から遠く離れている」ということです。
(「毛沢東」や「孔子」が「大同の世」を語っていますが、彼らの行動原理では「永遠に実現不可能」で、これは「人民を釣る甘いエサ」に過ぎません)
>日本が国内に対して単一民族にまで浄化して、
「日本民族」という種族があるわけではなく、その構成過程は「想像を絶するほどバラエティに富んだもの」でありながら、融合していき
「共通の価値観」を持ち、数千年かけて「あたかも単一民族のようにまとまっていった」ということです。
これはまさに「大同」です。
>対外には他国家の文化を受け入れてちょっと力をつけたぐらいで、
隋以前に日本にやってきたのはいずれも「絶頂期の王朝」ではなく、「滅ぼされた古代王朝や王国の末裔」達です。
文献からみれば「倭人」をはじめ「夏王朝」「春秋呉」「越」「斉」「秦王朝」「前漢王朝」「後漢王朝(霊帝)」「三国呉」など怱々たるメンバーです。
(半島からも「加羅」や、後に「百済」「高句麗」「新羅」なども滅びては救いを求めて日本にやってきて融合していきました。)
隋代でも近隣諸国で「隋に朝貢していなかったのは倭国だけ」です。
倭国は高句麗の勧めで隋帝に使者「小野妹子」を送りましたが、妹子は諸国の代表の前で隋帝に向かって「日出づる処の天子、日没する処の天子に文を送る」と「倭国は正統王朝である」ことを言い放ちました。
(「隋」王家も「唐」王家も「鮮卑人」ですから、悠久の時を経た「正統な王朝」ではなく「成り上がった簒奪者」に過ぎませんが、さすがにそこまでは言わず「相手を並び立てた」ようです)
隋悌は無礼だと激怒しましたが、結局倭国と断絶することはできず丁重に扱い、「隋の返礼の使者」を倭国に送りました。
>上海第一次事件、第二事件を引き起こしたのは日本側だった。
中共軍の劉少奇の部隊が起こした盧溝橋事件を解決するために日本軍と国民党軍が上海で会議を行おうとした当日に、現地の保安をあずかるはずの上海守備隊が日本人将校を虐殺し、日本軍の陸戦隊に攻撃を開始して上海事変は勃発しています。
>結果としては、日本は共存共栄に反して、中国人民の主権を侵害して傀儡国家を作ってしまったんだよ。
その原理は単純で、チャイニーズは「共存共栄」の発想を持っておらず、「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」という発想であって、「対等な他者」など一切認めないからです。
それで共存共栄など実現するはずも無く、「そうなる通りの有り様になる」ということです。
>日本は東北では、張作霖を謀殺、傀儡政権をたて、権益以上の資源を略奪し、
共存共栄を試みる日本を甘く見た「張作霖」の態度はますます増長し、裏では日本を完全に裏切り満州を売り渡そうとしていました。
結局これもシステム・メカニズムとして見れば「起こるべくして事件が起きている」ことがよく分かります。
そして、このような人々に対して「共存共栄」を推し進めれば進めるほど、「およそ反対の結果を生み出す」ということを日本人はまだ学んでいない気がします。
要するに「特亜」は「大同の世には永遠に住めない、異質な民族」ということです。
「盗人に追い銭」ならまだましですが、「日本のチャイナへの援助が、世界を苦しめる結果となる」わけです。
根本的に違います。
「弾圧して恐怖で従わせる」のは「大同の世」の全く「対極」の世界です。
「大同の世の主催者」というのは、一見「何もしない」ように見えて「そのあり方」そのものが「民を教化」するものです。
ですから、「都を高い城壁で囲む」必要もないのです。
(それが「平安京と長安の根本的な違い」でもあります。)
>中国大陸は、異民族による侵略の洗礼を受けながら、勢力拡大に大同の世になっている。
「チベットで行っている民族浄化」が「大同の世のあり方」だとでもいうのでしょうか
チャイナは「ますます大同の世から遠く離れている」ということです。
(「毛沢東」や「孔子」が「大同の世」を語っていますが、彼らの行動原理では「永遠に実現不可能」で、これは「人民を釣る甘いエサ」に過ぎません)
>日本が国内に対して単一民族にまで浄化して、
「日本民族」という種族があるわけではなく、その構成過程は「想像を絶するほどバラエティに富んだもの」でありながら、融合していき
「共通の価値観」を持ち、数千年かけて「あたかも単一民族のようにまとまっていった」ということです。
これはまさに「大同」です。
>対外には他国家の文化を受け入れてちょっと力をつけたぐらいで、
隋以前に日本にやってきたのはいずれも「絶頂期の王朝」ではなく、「滅ぼされた古代王朝や王国の末裔」達です。
文献からみれば「倭人」をはじめ「夏王朝」「春秋呉」「越」「斉」「秦王朝」「前漢王朝」「後漢王朝(霊帝)」「三国呉」など怱々たるメンバーです。
(半島からも「加羅」や、後に「百済」「高句麗」「新羅」なども滅びては救いを求めて日本にやってきて融合していきました。)
隋代でも近隣諸国で「隋に朝貢していなかったのは倭国だけ」です。
倭国は高句麗の勧めで隋帝に使者「小野妹子」を送りましたが、妹子は諸国の代表の前で隋帝に向かって「日出づる処の天子、日没する処の天子に文を送る」と「倭国は正統王朝である」ことを言い放ちました。
(「隋」王家も「唐」王家も「鮮卑人」ですから、悠久の時を経た「正統な王朝」ではなく「成り上がった簒奪者」に過ぎませんが、さすがにそこまでは言わず「相手を並び立てた」ようです)
隋悌は無礼だと激怒しましたが、結局倭国と断絶することはできず丁重に扱い、「隋の返礼の使者」を倭国に送りました。
>上海第一次事件、第二事件を引き起こしたのは日本側だった。
中共軍の劉少奇の部隊が起こした盧溝橋事件を解決するために日本軍と国民党軍が上海で会議を行おうとした当日に、現地の保安をあずかるはずの上海守備隊が日本人将校を虐殺し、日本軍の陸戦隊に攻撃を開始して上海事変は勃発しています。
>結果としては、日本は共存共栄に反して、中国人民の主権を侵害して傀儡国家を作ってしまったんだよ。
その原理は単純で、チャイニーズは「共存共栄」の発想を持っておらず、「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」という発想であって、「対等な他者」など一切認めないからです。
それで共存共栄など実現するはずも無く、「そうなる通りの有り様になる」ということです。
>日本は東北では、張作霖を謀殺、傀儡政権をたて、権益以上の資源を略奪し、
共存共栄を試みる日本を甘く見た「張作霖」の態度はますます増長し、裏では日本を完全に裏切り満州を売り渡そうとしていました。
結局これもシステム・メカニズムとして見れば「起こるべくして事件が起きている」ことがよく分かります。
そして、このような人々に対して「共存共栄」を推し進めれば進めるほど、「およそ反対の結果を生み出す」ということを日本人はまだ学んでいない気がします。
要するに「特亜」は「大同の世には永遠に住めない、異質な民族」ということです。
「盗人に追い銭」ならまだましですが、「日本のチャイナへの援助が、世界を苦しめる結果となる」わけです。
これは メッセージ 146331 (jptmd2004 さん)への返信です.
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