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Re: 中国、 古代王朝の正統な後継者

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/10/02 17:35 投稿番号: [146262 / 196466]
>夏   殷   周   春秋   戦国   秦   漢   (魏   呉   蜀)   隋   唐   …ここでやっと唐ですからね〜。   それまで日本に何の文化もなかったなんてありえない。

朝鮮半島に逃れていた「秦王朝の末裔」(日本で「秦(はた)」の氏を許された)や「前漢王朝の末裔」(漢(あや)氏)、「後漢王朝の末裔」(東漢(ひがしのあや)氏)が、日本にやってくることを望んで許されたのは応神天皇代で、後に天皇の臣(おみ)や連(むらじ)になりました。
それは「4〜5世紀頃」であって、遣隋使を派遣した「7世紀」のはるか以前ですし、そもそも「倭人」がやってきたのは殷末・周代です。

そしてそれは「天皇の王朝(朝廷)」が「秦王朝や前漢王朝、後漢王朝といった古代王朝の流れを正統に受け継ぐ王朝」でもあったことを意味します。

一方「それらの王朝を滅ぼし故地から追い出したチャイナの簒奪者」には、もちろん「古代王朝の正統性」などありません。
「奪った他人の土地に住みつき、拾った文化をコピーして、あたかも「自分の文化」だと言い張っているだけ」です。
(「現代のチャイナ」でも同様に「中国に輸出した新幹線」すら厚顔にも「我々独自の技術だ」と誇るメンタリティであることが分かります)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/52775/


ところで、これらの秦王朝や前漢王朝、後漢王朝の末裔は、「ローカルな東の島国の王の家臣」になったのでしょうか?
実は「天皇」こそ、太古より(異民族に大陸を侵略され、日本に移るまで)「大陸の多様な民族を統べていた祖神」であり「秦(えい氏)や漢(劉氏)の祖先」もそのもとで暮らしていました。


「天皇」とは、天皇・地皇・人皇の「天皇(てんこう)」のことです。
http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/3k5t_01.html

天皇は、『無欲恬淡でなんら作為するところはなかったが、その徳のために民俗はおのずから化せられた』というように、本質的に権力を握る「帝王」ではなく、あくまで「世の民の安泰を祈願」する「皇(教皇)」です。(日本の場合、帝(みかど)とも言いますが、実権は幕府・政府に委ねています)

伊勢神宮では「太一」と書かれた札を掲げます。これは「御山(おやま)」であり「御上(おかみ、御神)」ですが、「太一」のルーツは「泰山(たいざん)」です。
泰山は封禅(皇・帝が天と地に即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式)を行う山です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A6%85

はじめて泰山で封禅したのは「無懐氏」と言われ、次に「伏儀氏」、「神農氏」「黄帝」・・・で、「秦の始皇帝」や「前漢の武帝」などと言われています。
ここは山東省にあり「大&#27766;口文化」圏ですhttp://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/10-daimonkou.htm
(ちなみに倭人はモン族の「大&#27766;口文化」と長江・江南系の「河姆渡文化」http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/12-kaboto.htm
を併せ持っており、「米」だけでなく「大豆」「ヒエ」「アワ」といった「五穀」を大切にします。)

ちなみに「天皇(てんこう)の徳」は「木徳」ですが、黄帝は土徳、神農氏は火徳であり、伏儀氏が「木徳」です。(あるいは無懐氏も木徳かもしれませんが不明です)
「伏儀氏の故地」は「魯から山東半島南部にかけて」であり、そこはまさに「倭人国」であり「人方」です。

さらに伏儀氏のパートナーである「女か氏」は「はじめて「人」を造った神」として知られていますが、「人族」と考えればすなわち「人方」の祖と見なせます。
殷の方国には「馬方」や「鬼方」、「虎方」などがありますが、「人を冠した方国」は「人方」だけです。
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