ゴキウヨ バカウヨ チョンコロリ
投稿者: kurukuruwadatumielese 投稿日時: 2007/09/29 07:04 投稿番号: [146057 / 196466]
この掲示板に徘徊するゴキウヨ
バカウヨ
酷紙様を実に見事に分析しています。
日本と北鮮 似たもの同士 同病相憐れむ。
>記事を読んでも内容を理解する事を脳味噌が拒否しているゴキウヨ
あるいは記事の中身すら読んでいないネトウヨの狂乱を御覧下さい
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/95dfd70aa8f34fdd08cf4b5620e59f86
狂気の「ぶち殺せ!」標語
http://tadanorih.hp.infoseek.co.jp/tondemo/tondemo01.htm
まあ今年は従軍慰安婦で始まって
次は南京事件、最後に731部隊で三拍子だな。
>慶応大学で731部隊人体実験の報告書見つかる 細菌戦の活動裏付け
旧関東軍731部隊(部隊長・石井四郎元中将)が戦時中、中国ハルビン市郊外で毒ガスや破傷風菌を使って行った人体実験報告書の原本2冊がこのほど見つかった。慶応義塾大学太平洋戦争史研究会(代表・田中明経済学部教授)が東京・神田の古書店で入手したもので、同研究会では「同部隊の人体実験について文献的な証拠が発見されたことは大きな意義がある」と話している。
見つかった報告書は「きい弾射撃ニ因ル皮膚傷害並一般臨床的症状観察」と「破傷風毒素並芽胞接種時ニ於ケル筋「クロナキシー」ニ就テ」の2冊。
両報告書の分析を進めている同会の松村高夫・同大経済学部教授によると「きい弾…」と題する報告書は猛毒のイペリットガスを使った実験結果をまとめたもので、表紙には「加茂部隊」(731部隊の別名)と書かれ、「極秘」印が押されている。
実験は昭和15年9月、3ケタの番号をつけた中国人捕虜ら21人を対象に行われ、さまざまな条件下でイペリット弾を発射し、毒ガスを浴びた「被験者」の症状を記述。計3200発のイペリットを浴びた「被験者」は翌日になっておう吐を繰り返し、体に無数の水ほうができたことなどが書かれている。
また毒ガス水溶液を飲ませたり、「被験者」の水ほうの内容液を他の人間に接種するなどの実験結果も報告されている。
>「三週間後ペスト猛威」
731隊員、日誌で報告 対米使用も検討
戦後48年間、隠され続けていた731部隊の細菌作戦の実態を示す陸軍幹部の日誌類が防衛庁防衛研究所図書館に眠っていた。コレラやチフス、ペストなどの細菌を空や陸上から散布する作戦は暗号で「ホ号」と呼ばれていた。作戦が成功して「部隊ノ士気上ル」と報告する731部隊の隊員。誤って多くの日本兵が細菌戦の犠牲になった事件をきっかけに一時は消極的になるが、終戦間際には、再び米軍に対して使用することを検討し始めるなど、細菌戦の実態が浮き彫りになった。
1941年11月4日に中国の常徳で細菌戦を実施した後の12月2日付の参謀本部作戦参謀の日誌には、参謀の報告が記されている。「(細菌戦)実施後約十日バカリニテ常徳付近ペスト 三週間後(判読不明)ヨリ常徳ヲ中心トスル散布ニテハ『ペスト』猖(しょう)ケツ(猛威)ヲ極メアリ」
フィリピンのバターン半島では日本軍に対して米軍が抵抗していた42年3月に、細菌戦が検討されていた。「マニラニ五十―百名ヲ置クコト(細菌)千キロ位ヲ十回位必要 爆弾三百発位アルベシ」として、具体的な作戦計画を示す地図が描かれている。
さらに4月には、サモア、アラスカ・ダッチハーバーなどでも細菌戦を実施する計画を示している。
5月27日、731部隊の部隊長である石井四郎少将ら部隊の幹部が参謀本部に集められた。14日から始まった浙〓(せっかん)作戦に細菌戦を実施するためとみられる打ち合わせで、「機密保持ニ注意 飛行機ハ新散布器ヲツケタル九九双発機ヲ使用ス 友軍ノ感染防御」などの注意が与えられ、同月30日、大本営陸軍部指示が下された。
後に米軍の捕虜となった日本兵が米軍に対して証言した内容をまとめた米軍資料がすでに明らかになっているが、それによると、浙〓作戦で、日本兵が誤って汚染地域に入ってしまったため、1万人以上が赤痢やコレラ、ペストにかかって、うち1700人以上が死んだ、という。
作戦の責任問題については、当時陸軍大臣を兼ねていた東条英機首相の言葉として「自分ハ陸相テアリ首相テアリ総長テアリ自分ノ責任タ」(本人が出席していたかは不明)と紹介されている。
さらに、44年7月にサイパンが陥落した後は、サイパンやグアムに細菌戦を実施する計画が進められたが、細菌の生産が追いつかないなどのために、最終的には終戦間際の45年7月24日には医務局長が「ホ号ハ全面的ニ中止」と決断している。
日本と北鮮 似たもの同士 同病相憐れむ。
>記事を読んでも内容を理解する事を脳味噌が拒否しているゴキウヨ
あるいは記事の中身すら読んでいないネトウヨの狂乱を御覧下さい
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/95dfd70aa8f34fdd08cf4b5620e59f86
狂気の「ぶち殺せ!」標語
http://tadanorih.hp.infoseek.co.jp/tondemo/tondemo01.htm
まあ今年は従軍慰安婦で始まって
次は南京事件、最後に731部隊で三拍子だな。
>慶応大学で731部隊人体実験の報告書見つかる 細菌戦の活動裏付け
旧関東軍731部隊(部隊長・石井四郎元中将)が戦時中、中国ハルビン市郊外で毒ガスや破傷風菌を使って行った人体実験報告書の原本2冊がこのほど見つかった。慶応義塾大学太平洋戦争史研究会(代表・田中明経済学部教授)が東京・神田の古書店で入手したもので、同研究会では「同部隊の人体実験について文献的な証拠が発見されたことは大きな意義がある」と話している。
見つかった報告書は「きい弾射撃ニ因ル皮膚傷害並一般臨床的症状観察」と「破傷風毒素並芽胞接種時ニ於ケル筋「クロナキシー」ニ就テ」の2冊。
両報告書の分析を進めている同会の松村高夫・同大経済学部教授によると「きい弾…」と題する報告書は猛毒のイペリットガスを使った実験結果をまとめたもので、表紙には「加茂部隊」(731部隊の別名)と書かれ、「極秘」印が押されている。
実験は昭和15年9月、3ケタの番号をつけた中国人捕虜ら21人を対象に行われ、さまざまな条件下でイペリット弾を発射し、毒ガスを浴びた「被験者」の症状を記述。計3200発のイペリットを浴びた「被験者」は翌日になっておう吐を繰り返し、体に無数の水ほうができたことなどが書かれている。
また毒ガス水溶液を飲ませたり、「被験者」の水ほうの内容液を他の人間に接種するなどの実験結果も報告されている。
>「三週間後ペスト猛威」
731隊員、日誌で報告 対米使用も検討
戦後48年間、隠され続けていた731部隊の細菌作戦の実態を示す陸軍幹部の日誌類が防衛庁防衛研究所図書館に眠っていた。コレラやチフス、ペストなどの細菌を空や陸上から散布する作戦は暗号で「ホ号」と呼ばれていた。作戦が成功して「部隊ノ士気上ル」と報告する731部隊の隊員。誤って多くの日本兵が細菌戦の犠牲になった事件をきっかけに一時は消極的になるが、終戦間際には、再び米軍に対して使用することを検討し始めるなど、細菌戦の実態が浮き彫りになった。
1941年11月4日に中国の常徳で細菌戦を実施した後の12月2日付の参謀本部作戦参謀の日誌には、参謀の報告が記されている。「(細菌戦)実施後約十日バカリニテ常徳付近ペスト 三週間後(判読不明)ヨリ常徳ヲ中心トスル散布ニテハ『ペスト』猖(しょう)ケツ(猛威)ヲ極メアリ」
フィリピンのバターン半島では日本軍に対して米軍が抵抗していた42年3月に、細菌戦が検討されていた。「マニラニ五十―百名ヲ置クコト(細菌)千キロ位ヲ十回位必要 爆弾三百発位アルベシ」として、具体的な作戦計画を示す地図が描かれている。
さらに4月には、サモア、アラスカ・ダッチハーバーなどでも細菌戦を実施する計画を示している。
5月27日、731部隊の部隊長である石井四郎少将ら部隊の幹部が参謀本部に集められた。14日から始まった浙〓(せっかん)作戦に細菌戦を実施するためとみられる打ち合わせで、「機密保持ニ注意 飛行機ハ新散布器ヲツケタル九九双発機ヲ使用ス 友軍ノ感染防御」などの注意が与えられ、同月30日、大本営陸軍部指示が下された。
後に米軍の捕虜となった日本兵が米軍に対して証言した内容をまとめた米軍資料がすでに明らかになっているが、それによると、浙〓作戦で、日本兵が誤って汚染地域に入ってしまったため、1万人以上が赤痢やコレラ、ペストにかかって、うち1700人以上が死んだ、という。
作戦の責任問題については、当時陸軍大臣を兼ねていた東条英機首相の言葉として「自分ハ陸相テアリ首相テアリ総長テアリ自分ノ責任タ」(本人が出席していたかは不明)と紹介されている。
さらに、44年7月にサイパンが陥落した後は、サイパンやグアムに細菌戦を実施する計画が進められたが、細菌の生産が追いつかないなどのために、最終的には終戦間際の45年7月24日には医務局長が「ホ号ハ全面的ニ中止」と決断している。
これは メッセージ 146007 (goki_tyonntyann さん)への返信です.
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