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康有為の思想

投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2007/09/12 05:01 投稿番号: [145327 / 196466]
59集の歴史ドラマ「走向共和」では第4集のところに出てくる。
清末、変法運動の中心人物、康有為が門弟たちに語って聞かせる。

・・これは「道徳」の問題ではなく、「制度」の問題なのだ。
中国の歴史を歴史家は「道徳」の二字で記そうとするが、これは幻想である。
道徳を極めれば中国の全ての問題が解決できる・・とは大きな間違いである。大事なのは「制度」である。日本は制度を改めて明治維新を起こし、強大になった。我が大清もそうあらねばならない・・と。

私が思うに、康有為のこの言葉は今日の中国にも通じるのではあるまいか。
近代中国において、五四運動でも中国の伝統文化は批判にさらされ、取り分け儒教は叩かれた。
儒教の根本は道徳であり、それはあくまで一個人の修練に他ならない。
「修身、斉家、治国、平天下」であり、個々人が我が身の道徳観念を確立するなら、自ずからして家の中に乱れなく、国は丸く治(おさ)まり、そして天下は太平、問題なし・・と考えるのが儒教の発想。

つまり、個々人の道徳を極め、修身を確立するなら、後は自動的に→斉家→治国→平天下・・となるばずなのが儒教の考えだが、それは幻想。
世の中、それほど単純ではない。

今の時代、否、昔もそうだったのだが・・正しくは世界(天下)の規格・常識に合わせて国の制度が作られ、その制度の中で家(地域社会)が保たれ、制約されながら人が動く。
つまり、「天下(世界)→国家→家(社会)→個人」と云う発想でなければ近代的な制度は作り得ないのだ。

これは儒教の道徳観念と正反対なのだから、近代化の過程において、儒教は常に邪魔になり、役に立たなかった。儒教を・・と言うより、儒教的観念を払拭しなければ近代化は達成できない。
個人の徳目として重宝(ちょうほう)しても、国家の制度や社会の規則を作るにおいて、儒教的観念を信奉するなら危ういことになりかねない。

今日、中国では共産主義の呪縛が解けて、道徳観念が緩むと同時に、昔の儒教に回帰する兆(きざ)しが見えている。
果たして、これは中国にとって好ましいことなのか?

儒教の教義は、あくまで個人の修練に他ならない。儒教に執着するなら、その分、世界を失うのではないかと私は心配している。
共産主義が消え去り、共産党が権威を失い、新たな制度を築かねばならないこの時代に、その制度は何を拠(よ)り所にして作られるだろうか?

康有為が生きているなら、何と言うだろうか?   聞いてみたい、そんな気がする。
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