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Re: 沖縄、北海道の土地を土着に還してくれ

投稿者: gyokuonhousounoshuchi 投稿日時: 2007/07/29 00:14 投稿番号: [142886 / 196466]
アイヌ差別の端緒は古代までさかのぼることもでき、また中世の蝕穢思想に基づく「辺境」観念との関わりも指摘されているが、ここでは江戸時代以降の話に限定する。また、アイヌ差別を正確に把握するには、当時の日本の状況も把握しておく必要がある。

江戸時代の日本社会においては「独自の文字がない=読み書きができない」ということは能力の欠如を意味していた。また、アイヌの中には「実力行使の前に徹底的に話し合う」という風習を持つところも少なくなかった。この、極力無用な戦いを避けようとする高貴な姿勢は、戦争や士農工商等の身分制度を当然視していた戦国時代・江戸時代の武士には十分に尊重されず、また、されるはずもなく、逆にアイヌ民族への不当な抑圧を自らみすみす招いてしまっただけとも考えられている。そして、他の地域における農民一揆と同様に、この封建社会的抑圧に対する怒りとして数度にわたるアイヌの大規模な軍事行動が発生したとされている。

さらに、明治維新以降、開国と文明化の恩恵を受けていた明治時代の日本人にとっては、古くからの因習と風俗を守り続けているアイヌは、他のアジア人同様、「未開」な「弱者」に相当する存在だった。もともと北海道進出の歴史が対ロシアとの緊張(ゴローニン事件など)で加速されていたこともあり、「北海道をロシアにとられないため」という防御的な理由と「未開地は(欧米と同じように)支配して文明開化すべきだ」という文明的な理由とが存在していた点も決して忘れてはならない。

>>>>>こうした背景もあり、明治政府は、1457年のコシャマインの戦い以来日本の統治下にあるアイヌを正式に平民として日本人(大日本帝国臣民)に組み入れることにより、北海道という土地を明確に自国領として取り扱った。また、明治人(特に知識人)の間では、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が同時併行して行われた。<<<<<

さらに、明治維新およびその後の政治が、日本の社会体制を「地域社会型」から「都市集中型」に切り替えたことも、アイヌ民族のアイデンティティーに対して重要な影響を及ぼすこととなる。当初、明治政府は戊辰戦争で賊軍になった諸藩に開拓団を出させていたが、これが軌道にのると、北海道そのものが内地(本州)で起きていた人口流動の最も重要なはけ口となったからである(後に満州開発が始まると、人口流動の最も重要なはけ口は満州へと移っていった)。

この時期のアイヌを、アイヌの側から見てみると、非文明的という受け入れ難い理由により伝統的な狩猟や医療(シャーマニックな祈祷)が禁止されたばかりか、和人入植者である「新土人」の対語として作られた「旧土人」という分類に勝手に区分され、>>>>居住地区を勝手に用意されて強制移住させられたりするなど、土地に関して極めて人権侵害的な扱いを受けていたと言える。この「土地の所有に関する問題」は、北海道地券発行条例から始まり、北海道旧土人保護法に至る流れで確定的となった。段階的に土地に関する法令が生まれていった背景にも、アイヌに対する日本人側の御都合主義的な考え方が反映されていると考えられている。<<<<

なお、家族主義的な家制度と江戸時代の身分差別の残滓(ざんし)が大いに残っていた当時の日本では、「未開人」あるいは「弱者」であるアイヌとの婚姻をことさらに忌避(きひ)する者がいた。アイヌの場合はこれが戦後もしばらく残っていたという点で、より深刻と言える。>>>>こうした傾向から、「アイヌ」という呼称そのものが差別的に用いられる事例もあらわれ、ますます差別的な流れが確定していった。<<<<

「アイヌ」を差別用語として社会に認知・定着させてしまうことに寄与してしまったと見ることもできる。この名称変更は差別をめぐる状況に対応した措置であったが、皮肉にもこれにより「アイヌ」という言葉自体が公に流通しにくくなり、肝心の差別撤廃の全国的アピールのほうが遅れてしまったという観は否めない。
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