蜥蜴這個混蛋
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2007/06/25 16:31 投稿番号: [140139 / 196466]
孤独な爬虫類、金、土、日三日間、大活躍したな、80通「も」投稿お疲れ様。
良かったな、口から屁尻から泡、馬鹿なテメーは何を話したのがテメー自分も覚えてないだろう、俺がテメーの言葉を唯一認めたのは:
「そのくらいの資料も、もちろん現代日本の文化としての食人には有るはずだ。」
↑はテメーが自分で認めたな、解釈無用だ。
テメーの「そのくらいの資料」をテメーの代わりに俺が見つけた:
1.http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-05.htm
【五、飢餓戦場の「捨て石」とされ
昭和19年2月、ラバウル基地は壊滅し、13万が戦死した。第7回高砂義勇隊800人は昭和19年初戦地に着いた。ブヌン族加藤直一は島々を阿転々としてから最後にニューギニアに送られ、飢餓地獄を味わされた(30)。林えいだい『証言高砂義勇隊』の訪問記録は、白豚(白人)、紅豚(黄色人種)、黒豚(現地人)、メンチ(日本人)などの人肉を食べるしかない日本兵の置かれた悲惨さを証言している。
六、結論
ニューギニア島では16万の日本兵が投入され、一万3,000人生還した。ムッシュ島捕虜集要所では「台湾人」が500人、「高砂族」は2,500人収容されていた。収容所では白人捕虜虐殺、食人などのことが漏れないようにと、日本軍の上からの伝令があり、暗に「光部隊」と命名されていた。】
2.http://www.abohome.org.tw/modules/news/article.php?storyid=745
3.http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030314morse.html
【食人の風習(1879)
「大森貝塚に関連して最も興味のある発見の一つは、そこでみられた食人風習の証拠である。それは日本に人喰い人種[ママ](cannibals―引用者)がいたことを、初めてしめる資料である。…食人の風習を証明するこれらの事項は、フロリダの貝塚にかんする報告で、ワイマン教授が推断したことに完全に一致している」(『大森貝塚』近藤・佐原訳、1983:49)。
「なお最近、帝国の南部にある貝塚[熊本県下益城郡松橋町大野の当尾貝塚―引用者]を調査して、食人風習の明白な証拠をひじょうに多く発見した」(『大森貝塚』近藤・佐原訳、1983:54)。】
4.http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/kami.htm
【●明治21年(1888) 土佐の民間の考古学者、寺石正路
食人の風習は神武以前のことであって、日本国が始まって以降はそんな野蛮な習俗が行われていたはずがない。だから、食人は、神武東征によって征服されたまつろわぬ人々の風習である。
●明治28年(1895) 石器時代人を伝説上のコロボックル説を主張した人類学者、坪井正五郎
貝塚の遺物の分析から、コロボックルの食べ物として、魚介類の他、クジラ、イノシシ、シカなどの哺乳類に並べて「ひと」が挙げられている。食人は、先住民であるコロボックルが日本人ともアイヌとも異なる野蛮な人種を特徴づける習俗としている。
●明治32年(1899) 坪井の弟子でありながら石器時代人をアイヌ説の立場をとった、鳥居龍蔵
日本の石器時代人に食人風習があったことは、大森貝塚だけではなく日本の他の貝塚から発掘される遺物によっても証明できるとしている。】
5.http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788508427/hbjp-22
「神、人を喰う 人身御供の民俗学」 六車由実著 新曜社 2003年 日本の民俗検証
6.礫川 全次【著】 土俗とイデオロギー
【糞尿・人喰い・乞食・刺青・生贄からみる“裏の日本民俗学”!】
http://www2.hanmoto.com/FMPro?-db=book.fp5&-format=shop%2Fdetail.htm&-lay=cgi&-sortfield=DoB&-sortorder=descend&%91S%95%B6=%93y%91%AD%82%C6%83C%83f%83I%83%8D%83M%81%5B&-max=20&-recid=12587274&-token.0=13073697&-find=
7.ドラゴンポール
蜥蜴の「そのくらいの資料も、もちろん現代日本の文化としての食人には有るはずだ。」、全くその通り
良かったな、口から屁尻から泡、馬鹿なテメーは何を話したのがテメー自分も覚えてないだろう、俺がテメーの言葉を唯一認めたのは:
「そのくらいの資料も、もちろん現代日本の文化としての食人には有るはずだ。」
↑はテメーが自分で認めたな、解釈無用だ。
テメーの「そのくらいの資料」をテメーの代わりに俺が見つけた:
1.http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-05.htm
【五、飢餓戦場の「捨て石」とされ
昭和19年2月、ラバウル基地は壊滅し、13万が戦死した。第7回高砂義勇隊800人は昭和19年初戦地に着いた。ブヌン族加藤直一は島々を阿転々としてから最後にニューギニアに送られ、飢餓地獄を味わされた(30)。林えいだい『証言高砂義勇隊』の訪問記録は、白豚(白人)、紅豚(黄色人種)、黒豚(現地人)、メンチ(日本人)などの人肉を食べるしかない日本兵の置かれた悲惨さを証言している。
六、結論
ニューギニア島では16万の日本兵が投入され、一万3,000人生還した。ムッシュ島捕虜集要所では「台湾人」が500人、「高砂族」は2,500人収容されていた。収容所では白人捕虜虐殺、食人などのことが漏れないようにと、日本軍の上からの伝令があり、暗に「光部隊」と命名されていた。】
2.http://www.abohome.org.tw/modules/news/article.php?storyid=745
3.http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030314morse.html
【食人の風習(1879)
「大森貝塚に関連して最も興味のある発見の一つは、そこでみられた食人風習の証拠である。それは日本に人喰い人種[ママ](cannibals―引用者)がいたことを、初めてしめる資料である。…食人の風習を証明するこれらの事項は、フロリダの貝塚にかんする報告で、ワイマン教授が推断したことに完全に一致している」(『大森貝塚』近藤・佐原訳、1983:49)。
「なお最近、帝国の南部にある貝塚[熊本県下益城郡松橋町大野の当尾貝塚―引用者]を調査して、食人風習の明白な証拠をひじょうに多く発見した」(『大森貝塚』近藤・佐原訳、1983:54)。】
4.http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/kami.htm
【●明治21年(1888) 土佐の民間の考古学者、寺石正路
食人の風習は神武以前のことであって、日本国が始まって以降はそんな野蛮な習俗が行われていたはずがない。だから、食人は、神武東征によって征服されたまつろわぬ人々の風習である。
●明治28年(1895) 石器時代人を伝説上のコロボックル説を主張した人類学者、坪井正五郎
貝塚の遺物の分析から、コロボックルの食べ物として、魚介類の他、クジラ、イノシシ、シカなどの哺乳類に並べて「ひと」が挙げられている。食人は、先住民であるコロボックルが日本人ともアイヌとも異なる野蛮な人種を特徴づける習俗としている。
●明治32年(1899) 坪井の弟子でありながら石器時代人をアイヌ説の立場をとった、鳥居龍蔵
日本の石器時代人に食人風習があったことは、大森貝塚だけではなく日本の他の貝塚から発掘される遺物によっても証明できるとしている。】
5.http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788508427/hbjp-22
「神、人を喰う 人身御供の民俗学」 六車由実著 新曜社 2003年 日本の民俗検証
6.礫川 全次【著】 土俗とイデオロギー
【糞尿・人喰い・乞食・刺青・生贄からみる“裏の日本民俗学”!】
http://www2.hanmoto.com/FMPro?-db=book.fp5&-format=shop%2Fdetail.htm&-lay=cgi&-sortfield=DoB&-sortorder=descend&%91S%95%B6=%93y%91%AD%82%C6%83C%83f%83I%83%8D%83M%81%5B&-max=20&-recid=12587274&-token.0=13073697&-find=
7.ドラゴンポール
蜥蜴の「そのくらいの資料も、もちろん現代日本の文化としての食人には有るはずだ。」、全くその通り
これは メッセージ 140134 (tokagenoheso さん)への返信です.
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