Re: 単純な質問だけど、 -究極の愛
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/06/24 23:52 投稿番号: [140104 / 196466]
>しかも、形見として「子消し」を作った。
なるほど。「コケシを作りそばに置いておく心」で「人食い」はできませんね。
>第二次大戦の時のフィリピンでは、日米両軍ともに、仲間内で、殺して食べたようですが。
軍隊自体が「人間を自ら兵器に徹しさせるから」というのもあるのかもしれませんが、「生きてこそ」と同じ「緊急避難のサバイバル」だからでしょうね。
「生き抜く」ことがすなわち「サバイバル戦において兵士に要求されるスキル」でありしかし「半数以上は生き残れない」わけで究極の選択と行動が要求されます。
「究極の選択と行動」で、いまだ私が考え込んでしまうことがあります。
阪神大震災のとき長田で家の下敷きになりつつも生きていた人は多かったのですが、その後の大火災で生きながら焼かれていきました。
果たしてそれが自分の肉親や知り合いだったとして「生きながら焼け死にさせる」のと「いっそ楽にしてやる」のと「どちらを選択すべきか」ということです。
今は掲示板の前で「それは究極の選択だね」と収まりかえっていることができますが、この瞬間大地震がくれば「ただちに選択を迫られる」かもしれないのです。
「とても手を下せない」と思いますが、ときおりバーベキューパーティーなどがあるとき「今この焼けた鉄板に5秒でも手を押し付けられるか?」を考えただけで「生きながら焼かれる」という想像を絶する苦痛を思い知るわけです。
そういったことを思うと「餓死させる前に手を下した肉親の行動」も「究極の愛」であったかもしれないと思うわけです。
これは メッセージ 140058 (eggusando さん)への返信です.
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