Re: チャイナの有力者とアヘン
投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2007/06/23 00:50 投稿番号: [139893 / 196466]
>「通州事件」でも実際には共産党軍が襲撃に関わっています。
(具体的には共産党軍が現地軍を煽動して日本人居留地を襲撃させたようですが、「思いつく限り残虐な方法での日本人殺害を具体的に指示」(あるいは実行)したのは共産軍でしょう。)
>その目的は、ひとつには「盧溝橋事件の直後」であり「中国でもっとも親日的」と評判だった「通州」で「これほどまでに日本人は現地に憎まれている」という「見せしめ」を作ることがありますが、
これも全く奇怪な事件ですが、『マオ』によると、
***
七月日本がまたたく間に華北を占領したのを見て、スターリンははっきりと脅威を感じた。
***
事態の急迫を受けて、スターリンは国民党軍の中枢で長期にわたって冬眠させておいた共産党スパイを目覚めさせ、上海で全面戦争を起こして日本を広大な中国の中心部に引きずり込む -- -すなわち、ソ連から遠ざける -- -手を打ったものと思われる。
***
これの一端を担った事件じゃないかと思われますね〜。
因みに通州事件は1937年(昭和十二年)7月29日です。
蒋介石も日本も全く全面戦争の意志は無かったんだし。
この冬眠スパイが張治中(チャンチーチョン)というのだが、彼はしきりに蒋介石に日本に先制攻撃を迫っている、が蒋介石はずっと突っぱねている。
***
七月末、日本軍が北京と天津を占領した直後、張治中は蒋介石に重ねて電報を打ち、開戦に「先手を取る」よう強く主張した。
長治中が執拗に主張をくりかえし、日本軍が上海攻撃の明白な動きを見せた場合にしか攻撃しないと言うので、蒋介石はその条件付で承諾を与え、「「攻撃開始については命令を待つように」と釘を刺した。
***
蒋介石は日本に口実を与えないようにわざわざ上海から部隊も大砲も遠ざけていたとあるんだよ。
***
しかし、八月九日、張治中は蒋介石の許可なしに上海飛行場の外で事件を仕組んだ。
長治中が配置しておいた中国軍部隊が日本海軍陸戦隊の中尉と一等兵を射殺したのである。
さらに、一人の中国人死刑囚が中国軍の軍服を着せられ、飛行場の門外で射殺された。
日本側が先に発砲したように見せかける工作である。
***
人を人とも思わぬ、相変わらずのやり方。
これでも日本側は事件を穏便に済ませたいと言う意向だったんだって。
張は蒋介石に攻撃許可を攻め立てたってよ〜、ひつ濃いスパイだね〜。
それでも蒋介石も却下しているんだよ。
***
十三日朝、張治中に対して「一時の衝動に駆られて」戦争の口火を切ってはならない、今一度あらゆる局面を「検討」したうえで計画を提出するように、と命じた。
***
日本に留学していた蒋介石がおいそれと日本に刃を向ける理由が無いんだよね〜。
怖さも知っていただろうし。
なんたって関東軍は当時世界一。
***
十四日、中国軍機が日本の旗艦「出雲」を爆撃し、さらに日本海陸戦隊及び地上に待機していた海軍航空機にも爆撃をおこなった。
張治中は総攻撃を命じた。しかし、蒋介石は「今夜は攻撃をおこなってはならない。命令を待て」と、張を制した。
待てども命令がこないのをみた張治中は、翌日、蒋介石を出し抜いて、日本の戦艦が上海を砲撃し日本軍が中国人に対する攻撃を始めた、と、虚偽の記者発表をおこなった。
反日感情が高まり、蒋介石は追いつめられた。
翌八月十六日、蒋介石はようやく「翌朝仏暁を期して総攻撃をおこなう」と命令した。
***
この一日で蒋介石は、攻撃中止を命令したが張のヴォけが拡大し続けて結局八月二十二日、日本は大規模な増援部隊投入をやっちゃうんだよな。
***
八月二十二日に日本側の大規模な増援部隊を投入するに至って、全面戦争は避けがたいものになる。
***
『マオ』上340頁〜343頁 抜粋
まるでデジャブーをみるようだ。
最近の反日感情あおりと60年以上前も全くな〜〜〜〜〜〜んにも変わっちゃおらせん。
さすが中国4000年の歴史だね。
変わらないね〜、伝統だね〜。
日本人はこの経緯をよ〜〜〜く熟知しておくべきである。
いっつも同じなの。
(具体的には共産党軍が現地軍を煽動して日本人居留地を襲撃させたようですが、「思いつく限り残虐な方法での日本人殺害を具体的に指示」(あるいは実行)したのは共産軍でしょう。)
>その目的は、ひとつには「盧溝橋事件の直後」であり「中国でもっとも親日的」と評判だった「通州」で「これほどまでに日本人は現地に憎まれている」という「見せしめ」を作ることがありますが、
これも全く奇怪な事件ですが、『マオ』によると、
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七月日本がまたたく間に華北を占領したのを見て、スターリンははっきりと脅威を感じた。
***
事態の急迫を受けて、スターリンは国民党軍の中枢で長期にわたって冬眠させておいた共産党スパイを目覚めさせ、上海で全面戦争を起こして日本を広大な中国の中心部に引きずり込む -- -すなわち、ソ連から遠ざける -- -手を打ったものと思われる。
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これの一端を担った事件じゃないかと思われますね〜。
因みに通州事件は1937年(昭和十二年)7月29日です。
蒋介石も日本も全く全面戦争の意志は無かったんだし。
この冬眠スパイが張治中(チャンチーチョン)というのだが、彼はしきりに蒋介石に日本に先制攻撃を迫っている、が蒋介石はずっと突っぱねている。
***
七月末、日本軍が北京と天津を占領した直後、張治中は蒋介石に重ねて電報を打ち、開戦に「先手を取る」よう強く主張した。
長治中が執拗に主張をくりかえし、日本軍が上海攻撃の明白な動きを見せた場合にしか攻撃しないと言うので、蒋介石はその条件付で承諾を与え、「「攻撃開始については命令を待つように」と釘を刺した。
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蒋介石は日本に口実を与えないようにわざわざ上海から部隊も大砲も遠ざけていたとあるんだよ。
***
しかし、八月九日、張治中は蒋介石の許可なしに上海飛行場の外で事件を仕組んだ。
長治中が配置しておいた中国軍部隊が日本海軍陸戦隊の中尉と一等兵を射殺したのである。
さらに、一人の中国人死刑囚が中国軍の軍服を着せられ、飛行場の門外で射殺された。
日本側が先に発砲したように見せかける工作である。
***
人を人とも思わぬ、相変わらずのやり方。
これでも日本側は事件を穏便に済ませたいと言う意向だったんだって。
張は蒋介石に攻撃許可を攻め立てたってよ〜、ひつ濃いスパイだね〜。
それでも蒋介石も却下しているんだよ。
***
十三日朝、張治中に対して「一時の衝動に駆られて」戦争の口火を切ってはならない、今一度あらゆる局面を「検討」したうえで計画を提出するように、と命じた。
***
日本に留学していた蒋介石がおいそれと日本に刃を向ける理由が無いんだよね〜。
怖さも知っていただろうし。
なんたって関東軍は当時世界一。
***
十四日、中国軍機が日本の旗艦「出雲」を爆撃し、さらに日本海陸戦隊及び地上に待機していた海軍航空機にも爆撃をおこなった。
張治中は総攻撃を命じた。しかし、蒋介石は「今夜は攻撃をおこなってはならない。命令を待て」と、張を制した。
待てども命令がこないのをみた張治中は、翌日、蒋介石を出し抜いて、日本の戦艦が上海を砲撃し日本軍が中国人に対する攻撃を始めた、と、虚偽の記者発表をおこなった。
反日感情が高まり、蒋介石は追いつめられた。
翌八月十六日、蒋介石はようやく「翌朝仏暁を期して総攻撃をおこなう」と命令した。
***
この一日で蒋介石は、攻撃中止を命令したが張のヴォけが拡大し続けて結局八月二十二日、日本は大規模な増援部隊投入をやっちゃうんだよな。
***
八月二十二日に日本側の大規模な増援部隊を投入するに至って、全面戦争は避けがたいものになる。
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『マオ』上340頁〜343頁 抜粋
まるでデジャブーをみるようだ。
最近の反日感情あおりと60年以上前も全くな〜〜〜〜〜〜んにも変わっちゃおらせん。
さすが中国4000年の歴史だね。
変わらないね〜、伝統だね〜。
日本人はこの経緯をよ〜〜〜く熟知しておくべきである。
いっつも同じなの。
これは メッセージ 139501 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
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