支那からナマ投稿中 ⑧
投稿者: wansuiwansuiwanwansui 投稿日時: 2007/06/14 23:47 投稿番号: [139017 / 196466]
90年代の半ば、俺は台湾で知り合った看護婦と交際していた。
(最近の看護師という呼び方は嫌いなので使わん。)
彼女は台湾大学の附属病院に勤めていた。
コテコテの本省人の彼女は未だ大陸をに行った事も興味も無かった。
「貧困」「密入国」「犯罪」「不衛生」「共産主義」等のイメージしかなかった。
しかし俺が大陸で勉強したことで少し関心を持ち「大陸を見てみたい。」と言う事になった。
台胞証(共産支那は台湾人にはパスポートの代わりにこれを使わせる事で建前上は同胞扱いにしているつもりなのだ。)を申請し、台北から先ず香港に飛んだ。そこで俺は支那ビザを申請(当時は必要だった。)、支那のビザは金を多く払えば早く発行するという支那人らしい仕組みだった。
特急料金を払うのもバカらしいので、普通申請にし待ち時間を潰す為に中環からフェリーにで長洲島へ行った。ここは香港人のビーチリゾートで貸しコテージのようなものが多く、海鮮料理が名物だ。台湾人の彼女は勿論広東語が全く分からない。そこで俺の出番だった。宿の手配、切符手配、交渉ごと、料理の注文、皆俺がやった。
ビザを得て香港からマカオへ船で移動。
マカオは俺が大好きな街だった。
過去形なのは最近の大陸支那人の成金や公金横領して一攫千金を狙う支那役人が大挙して押し掛け、薄っぺらなギャンブルテーマパークと化しつつあるからだ。
その頃は未だ道の右側は南欧風、左側は南支那風というような不思議な佇まいが魅力だったし、物価も香港より安く、香港より人口密度も低いのが良かったのだ。
そしてマカオから珠海へ入るのだが、国境には昔から運び屋がたむろしており、支那に物品を持ち込むのを手伝わないかと声をかけるのだ。今では麻薬でも運ばされたら堪らないので受けないだろうが、当時は大型家電に二輪車、酒やタバコまで、マカオ側で受け取り珠海側で奴らの一味に引き渡して結構な小遣いが稼げた。税関も台湾人には特に緩いらしく彼女も俺も小物を運んで小遣いを稼いだ。
そして珠海。
事前に俺が話はしていたが、台湾人の彼女にはショックだったようだ。
唾を吐き、手鼻をかむ人民。
暑いからとシャツを捲くり、へそ出しで歩くオヤジたち。
トイレに入れば溝だけ、ドアがあっても開け放し、大をしても流さない。
みすぼらしい物乞いやヤミ両替屋に囲まれ身動きできない。
大声で客引きするバス。交差点で女の車掌が窓から手を出し車体をガンガン叩き「ドケドケ」とばかり威嚇する路線バス・・・。
バスの切符を買うと「保険にも入れ。」と強制され1元取られ、よく見ると「死亡で1万元」の文字・・・。
掘っ立て小屋の連なる安飯屋街で一軒に入った。
メニューを見て安さに驚き、簡体字に難儀していた。
支払いの時、僅か30元ほどなのに彼女は両替したての100元札の束を財布から取り出し、その中の1枚をいかにも田舎から出てきたような小姐に払った。
俺はゾッとして耳元で言った。
「大陸ではそんな大金を持っていることがバレたら何をされるか分からない。数百元でもあの小姐にしたら何か月分の稼ぎかもしれないんだよ。必要最低限だけをグチャグチュに丸めてポケットに入れなきゃ駄目だ。」
彼女は青くなった。
珠海の九洲港から高速船で深センに渡り、「錦秀中華」や「世界之窓」といったテーマパークに入った。当然、中は支那人で溢れていた。
彼らは列を守らず、他人のことを考えずに大声で喚き、あちこちで好き勝手に恥ずかしいポーズをとり写真撮影に勤しんでいた。彼女はとても嫌そうだった。
その帰りのミニバスを降りた彼女のスカートに何か付いていた。
吐き捨てられたガムだった。バスの座席にあったらしい。
その直後、小さな子供達に「花買って!」と取り囲まれたのを振り切り
必死で抜け出して香港に逃げ帰った。
彼女は「大陸なんか大嫌い。二度と来ない。」と誓った。
俺も「台湾は支那とは違う。統一なんてあってはいけない。」との認識を強くした瞬間だった。
(最近の看護師という呼び方は嫌いなので使わん。)
彼女は台湾大学の附属病院に勤めていた。
コテコテの本省人の彼女は未だ大陸をに行った事も興味も無かった。
「貧困」「密入国」「犯罪」「不衛生」「共産主義」等のイメージしかなかった。
しかし俺が大陸で勉強したことで少し関心を持ち「大陸を見てみたい。」と言う事になった。
台胞証(共産支那は台湾人にはパスポートの代わりにこれを使わせる事で建前上は同胞扱いにしているつもりなのだ。)を申請し、台北から先ず香港に飛んだ。そこで俺は支那ビザを申請(当時は必要だった。)、支那のビザは金を多く払えば早く発行するという支那人らしい仕組みだった。
特急料金を払うのもバカらしいので、普通申請にし待ち時間を潰す為に中環からフェリーにで長洲島へ行った。ここは香港人のビーチリゾートで貸しコテージのようなものが多く、海鮮料理が名物だ。台湾人の彼女は勿論広東語が全く分からない。そこで俺の出番だった。宿の手配、切符手配、交渉ごと、料理の注文、皆俺がやった。
ビザを得て香港からマカオへ船で移動。
マカオは俺が大好きな街だった。
過去形なのは最近の大陸支那人の成金や公金横領して一攫千金を狙う支那役人が大挙して押し掛け、薄っぺらなギャンブルテーマパークと化しつつあるからだ。
その頃は未だ道の右側は南欧風、左側は南支那風というような不思議な佇まいが魅力だったし、物価も香港より安く、香港より人口密度も低いのが良かったのだ。
そしてマカオから珠海へ入るのだが、国境には昔から運び屋がたむろしており、支那に物品を持ち込むのを手伝わないかと声をかけるのだ。今では麻薬でも運ばされたら堪らないので受けないだろうが、当時は大型家電に二輪車、酒やタバコまで、マカオ側で受け取り珠海側で奴らの一味に引き渡して結構な小遣いが稼げた。税関も台湾人には特に緩いらしく彼女も俺も小物を運んで小遣いを稼いだ。
そして珠海。
事前に俺が話はしていたが、台湾人の彼女にはショックだったようだ。
唾を吐き、手鼻をかむ人民。
暑いからとシャツを捲くり、へそ出しで歩くオヤジたち。
トイレに入れば溝だけ、ドアがあっても開け放し、大をしても流さない。
みすぼらしい物乞いやヤミ両替屋に囲まれ身動きできない。
大声で客引きするバス。交差点で女の車掌が窓から手を出し車体をガンガン叩き「ドケドケ」とばかり威嚇する路線バス・・・。
バスの切符を買うと「保険にも入れ。」と強制され1元取られ、よく見ると「死亡で1万元」の文字・・・。
掘っ立て小屋の連なる安飯屋街で一軒に入った。
メニューを見て安さに驚き、簡体字に難儀していた。
支払いの時、僅か30元ほどなのに彼女は両替したての100元札の束を財布から取り出し、その中の1枚をいかにも田舎から出てきたような小姐に払った。
俺はゾッとして耳元で言った。
「大陸ではそんな大金を持っていることがバレたら何をされるか分からない。数百元でもあの小姐にしたら何か月分の稼ぎかもしれないんだよ。必要最低限だけをグチャグチュに丸めてポケットに入れなきゃ駄目だ。」
彼女は青くなった。
珠海の九洲港から高速船で深センに渡り、「錦秀中華」や「世界之窓」といったテーマパークに入った。当然、中は支那人で溢れていた。
彼らは列を守らず、他人のことを考えずに大声で喚き、あちこちで好き勝手に恥ずかしいポーズをとり写真撮影に勤しんでいた。彼女はとても嫌そうだった。
その帰りのミニバスを降りた彼女のスカートに何か付いていた。
吐き捨てられたガムだった。バスの座席にあったらしい。
その直後、小さな子供達に「花買って!」と取り囲まれたのを振り切り
必死で抜け出して香港に逃げ帰った。
彼女は「大陸なんか大嫌い。二度と来ない。」と誓った。
俺も「台湾は支那とは違う。統一なんてあってはいけない。」との認識を強くした瞬間だった。
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