日本のカニバリズム
投稿者: racingschedule 投稿日時: 2007/06/07 22:46 投稿番号: [138435 / 196466]
日本のカニバリズム
日本でも人肉食は禁忌とされるが、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人等、説話にカニバリズムが散見される。「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が記録されている。江戸の獄門で処刑された死体で日本刀の試し切りを職とした山田浅右衛門が死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥し、薬として販売したとされる他、戊辰戦争の折には薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り食用にしたという話もあった。
確実な記録には江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。明治以降は、明治3年に刑部省弁官布告にて人体各部の密売を禁じた公文書が残っている。また、太平洋戦争中に起こった人肉食事件(通称ひかりごけ事件)は日本中を揺るがす大問題に発展した。
また太平洋戦線の島嶼等で日本軍は各地で食糧補給が途絶したため、戦死した兵士の死体や落伍した兵士を密かに殺すなどしてその肉を奪い合って食べる事態が頻発し、軍上層部でも問題となった。これに対し、1944年12月にニューギニア戦線の日本軍第十八軍は「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」とし、これに反した4名が処刑されたが、この布告は餓死寸前の末端兵士たちにはむしろ生存手段としての人肉食を示唆することになった(敵軍将兵の死体は食べても罰するという記述は無く、フィリピンのミンダナオ島では非戦闘員を含む住民が日本兵に殺害され、食べられるという事件が起こっている[2])。また太平洋戦争中のマーシャル諸島では日本人兵が朝鮮人軍属を殺して肉を食べたことが判明したため、地元の酋長と朝鮮人軍属が決起し日本軍によって全員殺害されるという事件もあった。[要出典]前述のように、主に日本軍による人肉食が発生した戦場はインパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナルなどである。日本軍による連合軍兵士に対する人肉食は、多くが飢餓による緊急避難であったことや、人肉食に遭った兵士の遺族に対する感情などを考慮した結果、その多くは戦犯として裁かれることはなかった。奥崎謙三は部下の肉を食べた上官の戦争責任を追及すべく活動しており、その様子は映画「ゆきゆきて、神軍」に収められている。
しかし緊急避難性がないとして起訴された事案もあり、1945年6月から8月にかけて発生した「九州大学生体解剖事件」は、撃墜されたB-29搭乗員のウィリアム・R・フレドリックス少佐以下米軍捕虜8人を裁判なしで死刑処分とし、九州大学に連行して生体解剖した上、堀内清真少将ら軍人5名がその肝臓を試食したとされる。これは飢餓地域ではない国内で発生した事件であり、戦争犯罪として裁かれた。ただし、東野利夫らは、自白の強要によって捏造された事件であると主張している。
同様に戦犯として裁かれた数少ない人肉食事件としては「父島事件(父島人肉食事件)」がある。合衆国第41代大統領ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュは同時期に父島上空で乗機を撃墜されたが、味方潜水艦に救助され辛くも難を逃れた。しかしこの事件は彼の日本人観に大きな影を落としたという。
1981年フランスで日本人留学生であった佐川一政が知人女性を殺しその肉を食べたパリ人肉事件(「パリ人肉食事件」とも)が起こる。当時学生であった佐川は25歳のオランダ人留学生の女生徒を殺害し、食べていた事が報道され世界中を震撼させた。詳細は「パリ人肉事件」の項を参照。
なお、葬儀においてお骨を食べる社会文化的儀礼としてのカニバリズムは、全国に広く残っている。
日本でも人肉食は禁忌とされるが、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人等、説話にカニバリズムが散見される。「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が記録されている。江戸の獄門で処刑された死体で日本刀の試し切りを職とした山田浅右衛門が死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥し、薬として販売したとされる他、戊辰戦争の折には薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り食用にしたという話もあった。
確実な記録には江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。明治以降は、明治3年に刑部省弁官布告にて人体各部の密売を禁じた公文書が残っている。また、太平洋戦争中に起こった人肉食事件(通称ひかりごけ事件)は日本中を揺るがす大問題に発展した。
また太平洋戦線の島嶼等で日本軍は各地で食糧補給が途絶したため、戦死した兵士の死体や落伍した兵士を密かに殺すなどしてその肉を奪い合って食べる事態が頻発し、軍上層部でも問題となった。これに対し、1944年12月にニューギニア戦線の日本軍第十八軍は「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」とし、これに反した4名が処刑されたが、この布告は餓死寸前の末端兵士たちにはむしろ生存手段としての人肉食を示唆することになった(敵軍将兵の死体は食べても罰するという記述は無く、フィリピンのミンダナオ島では非戦闘員を含む住民が日本兵に殺害され、食べられるという事件が起こっている[2])。また太平洋戦争中のマーシャル諸島では日本人兵が朝鮮人軍属を殺して肉を食べたことが判明したため、地元の酋長と朝鮮人軍属が決起し日本軍によって全員殺害されるという事件もあった。[要出典]前述のように、主に日本軍による人肉食が発生した戦場はインパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナルなどである。日本軍による連合軍兵士に対する人肉食は、多くが飢餓による緊急避難であったことや、人肉食に遭った兵士の遺族に対する感情などを考慮した結果、その多くは戦犯として裁かれることはなかった。奥崎謙三は部下の肉を食べた上官の戦争責任を追及すべく活動しており、その様子は映画「ゆきゆきて、神軍」に収められている。
しかし緊急避難性がないとして起訴された事案もあり、1945年6月から8月にかけて発生した「九州大学生体解剖事件」は、撃墜されたB-29搭乗員のウィリアム・R・フレドリックス少佐以下米軍捕虜8人を裁判なしで死刑処分とし、九州大学に連行して生体解剖した上、堀内清真少将ら軍人5名がその肝臓を試食したとされる。これは飢餓地域ではない国内で発生した事件であり、戦争犯罪として裁かれた。ただし、東野利夫らは、自白の強要によって捏造された事件であると主張している。
同様に戦犯として裁かれた数少ない人肉食事件としては「父島事件(父島人肉食事件)」がある。合衆国第41代大統領ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュは同時期に父島上空で乗機を撃墜されたが、味方潜水艦に救助され辛くも難を逃れた。しかしこの事件は彼の日本人観に大きな影を落としたという。
1981年フランスで日本人留学生であった佐川一政が知人女性を殺しその肉を食べたパリ人肉事件(「パリ人肉食事件」とも)が起こる。当時学生であった佐川は25歳のオランダ人留学生の女生徒を殺害し、食べていた事が報道され世界中を震撼させた。詳細は「パリ人肉事件」の項を参照。
なお、葬儀においてお骨を食べる社会文化的儀礼としてのカニバリズムは、全国に広く残っている。
これは メッセージ 138433 (sintyou5 さん)への返信です.
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