Re: 最良の観光客と最悪の観光客
投稿者: pointdearrivee 投稿日時: 2007/05/24 12:18 投稿番号: [137430 / 196466]
調査対象が欧州全域のホテル経営者というのがミソ。
海外旅行は、いつからいつまで、どの国から、何人の旅行者が滞在するという予約を受け、どの部屋にどの国のアジア人が泊まるか把握できる状況にある。
また経営者は、内装、備品など、ホテルのあらゆるメンテナンスとその資金に関わる人物。
メンテナンスに必要な経費が何から生じたか、従業員や支配人から話を聞く立場にあり、正確な状況を把握する立場にもある。それら、現場からの精神的かつ物質的な報告や苦情の全てを把握するのがホテル経営者なのだ。
例えば、ビュッフェ式で、ある特定アジアの国の人間が、次に欲しい料理を見つけた時、自分の皿から、いきなり大皿に捨て、新しい料理を自分の皿に乗せたのを見たホテル側が、あわててその大皿を下げ、別の新しい皿を用意しなければならないなどの神経(余計な金)を使わねばならなかった際、その問題が、必ずある特定アジア人がホテルに泊まった時のみだという現実も全て把握している。
宿泊客がいったん外に出てしまえば、外に出た、アジア人全てが、自国製でなく、日本人と同じ日本製のハイテクカメラを持って出た場合(偶然以上の確率でそういったケースが多い)、まわりの西欧人が、どのアジア人がどの国からの旅行者であるか見分けるのは、相当に困難だ。言葉の通じないアジア人同士が、相手が自分とよその国の人間だと分かるのみである。
だが、一日の旅行日程を終え、ホテルに戻ってくれば、それが何人であるか、ホテルはまた把握できる状態に戻る。
部屋がどう使われているか備品の紛失も何もかも全てを把握できるのだ。タオルの紛失は当然のこと、まくらやシーツから、他に思いもよらないものまで紛失するのが、特定アジア人の泊まった部屋というのも全て把握している。
特定アジア人の中にも、日本人と変わらない泊り客のアジア人も稀にいるだろう。だが、それこそ奇特であって、その人がどんなに真面目にやっても、彼と同じ国の他の人間のほぼ全員が、自国の評判を下げることに奮闘するのであれば、真面目にやった人間が大損するのみで馬鹿を見る。というように、真面目な自分が馬鹿を見ると、もともと真面目であったかもしれない人間まで、真面目でない者と、結局、同じ方向へと流れてしまうのである。そうやって、よりよい方向でなく、より悪い方向へ流れてきたのが特定アジアの歴史である。
つまり、たしなめる大人が格段に少ないため、子供だけで作った社会と同様の現象が、今に至るまで続いてきたということだ。
自由が保障されるために何が必要であるか本質を理解できない者が、意味も分からず口先だけの個人の自由を高らかに謳いあげ、そうやって和を乱す日本人を、日本人は許さない。
だが、日本人以外のアジア人が、意味さえ分かってない個人の自由という口先だけの言葉を盾に、やりたい放題やるのを、他者だけがいい目を見るのはずるいと、自分もずるを行うようになり、結局、全員が、ずるをやらかす方向へと走ってしまうのが、特定アジア人と日本人との大きな違いである。
全員一丸になって同じ大儀と同じ連帯感のもとに戦った日本人と、全てにおいて一度も何のまとまりもなく戦った烏合の衆が、各地域の敗戦の腹いせに、自分より弱い立場に当り散らし、奪いまくる歴史は、別に日本人と戦いが始まるよりずっと以前の、数千年前から今に至るまで中国独自の戦争文化である。
ずるができる状況になれば、迷わず、ずるに走り、盗ったもん勝ちを勝ち誇る精神は、国内だけにとどまらず、西欧へ旅行してもなお生き続けていると言える。
海外旅行は、いつからいつまで、どの国から、何人の旅行者が滞在するという予約を受け、どの部屋にどの国のアジア人が泊まるか把握できる状況にある。
また経営者は、内装、備品など、ホテルのあらゆるメンテナンスとその資金に関わる人物。
メンテナンスに必要な経費が何から生じたか、従業員や支配人から話を聞く立場にあり、正確な状況を把握する立場にもある。それら、現場からの精神的かつ物質的な報告や苦情の全てを把握するのがホテル経営者なのだ。
例えば、ビュッフェ式で、ある特定アジアの国の人間が、次に欲しい料理を見つけた時、自分の皿から、いきなり大皿に捨て、新しい料理を自分の皿に乗せたのを見たホテル側が、あわててその大皿を下げ、別の新しい皿を用意しなければならないなどの神経(余計な金)を使わねばならなかった際、その問題が、必ずある特定アジア人がホテルに泊まった時のみだという現実も全て把握している。
宿泊客がいったん外に出てしまえば、外に出た、アジア人全てが、自国製でなく、日本人と同じ日本製のハイテクカメラを持って出た場合(偶然以上の確率でそういったケースが多い)、まわりの西欧人が、どのアジア人がどの国からの旅行者であるか見分けるのは、相当に困難だ。言葉の通じないアジア人同士が、相手が自分とよその国の人間だと分かるのみである。
だが、一日の旅行日程を終え、ホテルに戻ってくれば、それが何人であるか、ホテルはまた把握できる状態に戻る。
部屋がどう使われているか備品の紛失も何もかも全てを把握できるのだ。タオルの紛失は当然のこと、まくらやシーツから、他に思いもよらないものまで紛失するのが、特定アジア人の泊まった部屋というのも全て把握している。
特定アジア人の中にも、日本人と変わらない泊り客のアジア人も稀にいるだろう。だが、それこそ奇特であって、その人がどんなに真面目にやっても、彼と同じ国の他の人間のほぼ全員が、自国の評判を下げることに奮闘するのであれば、真面目にやった人間が大損するのみで馬鹿を見る。というように、真面目な自分が馬鹿を見ると、もともと真面目であったかもしれない人間まで、真面目でない者と、結局、同じ方向へと流れてしまうのである。そうやって、よりよい方向でなく、より悪い方向へ流れてきたのが特定アジアの歴史である。
つまり、たしなめる大人が格段に少ないため、子供だけで作った社会と同様の現象が、今に至るまで続いてきたということだ。
自由が保障されるために何が必要であるか本質を理解できない者が、意味も分からず口先だけの個人の自由を高らかに謳いあげ、そうやって和を乱す日本人を、日本人は許さない。
だが、日本人以外のアジア人が、意味さえ分かってない個人の自由という口先だけの言葉を盾に、やりたい放題やるのを、他者だけがいい目を見るのはずるいと、自分もずるを行うようになり、結局、全員が、ずるをやらかす方向へと走ってしまうのが、特定アジア人と日本人との大きな違いである。
全員一丸になって同じ大儀と同じ連帯感のもとに戦った日本人と、全てにおいて一度も何のまとまりもなく戦った烏合の衆が、各地域の敗戦の腹いせに、自分より弱い立場に当り散らし、奪いまくる歴史は、別に日本人と戦いが始まるよりずっと以前の、数千年前から今に至るまで中国独自の戦争文化である。
ずるができる状況になれば、迷わず、ずるに走り、盗ったもん勝ちを勝ち誇る精神は、国内だけにとどまらず、西欧へ旅行してもなお生き続けていると言える。
これは メッセージ 137367 (jptmp2004 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/137430.html