Re: tokyo_made_otearai_benki 氏へ
投稿者: nao759kyon 投稿日時: 2007/03/01 21:55 投稿番号: [132655 / 196466]
18世紀に、イギリス・オランダ人によって船で連れてこられた中国人華僑は、イギリス・オランダの植民地形成いらい300年間、帝国主義の手先として、プランテーション農場の現場監督として働いてきたけれど、現地インドネシア・マレーシア人のためには何もしなかった。
日本人の場合は、日本の敗戦後も、旧日本軍の2,000人ほどがインドネシア独立運動に参加した。
その上最後にオランダ軍と戦って独立したインドネシア軍というのは、旧日本軍が育てた「兵補」から始まった。
初代大統領スカルノも、日本が育てたようなものだ。
日本は、インドネシアの独立に重大な貢献をなしてきた。
中国華僑は、帝国主義の手先しかしなかった。あとは、自分たちの金儲け、略奪・商業資本主義しかしてこなかった。現地の人々の為の福祉・協力は、全くしなかった。
中国華僑は、アジア人から嫌われている。だから今でも華僑の排斥運動が、東南アジアで絶えないのである。
自慰的思考によって、新加坡が、被害者などと思ってはいけない。立派な加害者の国なのですよ。
↓(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から)
>日本の敗戦後、いち早く旧蘭印を占領したイギリス軍は日本軍を武装解除し、日本軍の軍人・軍属を日本へ送還したが、約2,000人の元日本軍兵は祖国に帰らず、そのまま除隊(この時点で日本軍籍は消滅)、残留してインドネシア独立軍に参加し、降伏時所持していた兵器物資を横流しした者、軍政資材をそのまま利用し独立運動の広報・宣伝に当たった者もいた。ある者はインドネシア人と結婚して家庭を築き、またある者はイスラームに改宗するなどして現地社会に溶け込み、インドネシア独立戦争の終了後も日本に帰還する者は少なかった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
それに、もともと、インドネシア軍というのも、もともと日本軍が育てたものだった。
>オランダ領東インドを占領した日本軍は兵補制度を採用して、これを日本軍の中に組み込んだ。こうした兵補の多くは、旧蘭印軍の現地人兵士から募集されたが、農村の住民から採用された者も多かった。
この「兵補」があくまで日本軍の補助兵力としての位置づけであったのに対して、郷土防衛義勇軍(Tentara Pembela Tanah Air、略称PETA「ペタ」)は、日本軍から組織的に独立し、インドネシア人指揮官が自ら率いる民族軍として構想されたものである。軍政下における現地住民の武装化については、日本軍内にも、また現地の民族主義運動リーダーたちのあいだにも慎重論があった。しかし、軍政当局の側には戦局悪化にともなう兵力不足の危機感が、そして現地指導者層の側には独自の民族軍を有していなければ独立達成後に旧宗主国オランダとは対峙できないという危機感があったため、1943年10月3日、ジャワ郷土防衛義勇軍の設立が正式に決定された。同様の組織は、バリ郷土防衛義勇軍、スマトラ義勇軍など、占領各地に創設された。こうして設立された民族軍ではあっても、占領期間中は日本軍の指揮下に置かれ、軍事訓練等は日本軍の指導の下に実施された。そして、インドネシアの独立宣言後、初期のインドネシア国軍の将校団を構成したのは、主にこれら対日協力軍の元幹部たちであった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
>逆さに、米軍が未だ日本の本土で駐留して日本に米国の附庸国に成らせます。
米軍が今でも日本にいるのは、仮想敵国中国・北朝鮮があるからですよ。
君がもし本当に、台湾にいるとしたら、
台湾に、中国が軍事行動を起こしたら、アメリカ軍だけではなくて、日本軍、或は義勇軍も、ももちろん救援にいきますよ。
安心してくださいね(笑い)。
日本人の場合は、日本の敗戦後も、旧日本軍の2,000人ほどがインドネシア独立運動に参加した。
その上最後にオランダ軍と戦って独立したインドネシア軍というのは、旧日本軍が育てた「兵補」から始まった。
初代大統領スカルノも、日本が育てたようなものだ。
日本は、インドネシアの独立に重大な貢献をなしてきた。
中国華僑は、帝国主義の手先しかしなかった。あとは、自分たちの金儲け、略奪・商業資本主義しかしてこなかった。現地の人々の為の福祉・協力は、全くしなかった。
中国華僑は、アジア人から嫌われている。だから今でも華僑の排斥運動が、東南アジアで絶えないのである。
自慰的思考によって、新加坡が、被害者などと思ってはいけない。立派な加害者の国なのですよ。
↓(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から)
>日本の敗戦後、いち早く旧蘭印を占領したイギリス軍は日本軍を武装解除し、日本軍の軍人・軍属を日本へ送還したが、約2,000人の元日本軍兵は祖国に帰らず、そのまま除隊(この時点で日本軍籍は消滅)、残留してインドネシア独立軍に参加し、降伏時所持していた兵器物資を横流しした者、軍政資材をそのまま利用し独立運動の広報・宣伝に当たった者もいた。ある者はインドネシア人と結婚して家庭を築き、またある者はイスラームに改宗するなどして現地社会に溶け込み、インドネシア独立戦争の終了後も日本に帰還する者は少なかった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
それに、もともと、インドネシア軍というのも、もともと日本軍が育てたものだった。
>オランダ領東インドを占領した日本軍は兵補制度を採用して、これを日本軍の中に組み込んだ。こうした兵補の多くは、旧蘭印軍の現地人兵士から募集されたが、農村の住民から採用された者も多かった。
この「兵補」があくまで日本軍の補助兵力としての位置づけであったのに対して、郷土防衛義勇軍(Tentara Pembela Tanah Air、略称PETA「ペタ」)は、日本軍から組織的に独立し、インドネシア人指揮官が自ら率いる民族軍として構想されたものである。軍政下における現地住民の武装化については、日本軍内にも、また現地の民族主義運動リーダーたちのあいだにも慎重論があった。しかし、軍政当局の側には戦局悪化にともなう兵力不足の危機感が、そして現地指導者層の側には独自の民族軍を有していなければ独立達成後に旧宗主国オランダとは対峙できないという危機感があったため、1943年10月3日、ジャワ郷土防衛義勇軍の設立が正式に決定された。同様の組織は、バリ郷土防衛義勇軍、スマトラ義勇軍など、占領各地に創設された。こうして設立された民族軍ではあっても、占領期間中は日本軍の指揮下に置かれ、軍事訓練等は日本軍の指導の下に実施された。そして、インドネシアの独立宣言後、初期のインドネシア国軍の将校団を構成したのは、主にこれら対日協力軍の元幹部たちであった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
>逆さに、米軍が未だ日本の本土で駐留して日本に米国の附庸国に成らせます。
米軍が今でも日本にいるのは、仮想敵国中国・北朝鮮があるからですよ。
君がもし本当に、台湾にいるとしたら、
台湾に、中国が軍事行動を起こしたら、アメリカ軍だけではなくて、日本軍、或は義勇軍も、ももちろん救援にいきますよ。
安心してくださいね(笑い)。
これは メッセージ 132606 (tokyo_made_otearai_benki さん)への返信です.
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