Re: 倭人
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/02/26 21:50 投稿番号: [132364 / 196466]
>同じ祖先から出ても、ここに信じられないほどの馬鹿中国人が居るのは、結局は文化の違いによる結果だと言うことですよ。
いや、それが!
私も元々はそう考えていましたが、東アジアの古代史を追跡してゆくと4000年前から日本人の祖先とチャイニーズの祖先は同じトラブルの繰り返しだったことが分ってきました。
考えて見ればDNAというのは「デジタルコピー」ですから劣化しませんし、母集団を多く取れば取るほどその性質は確定的になります。
多民族の交配を繰り返すことで新たな性質が生じもしますが、根本的な性質の差は埋めがたいようです。
このチャイニーズとコリアン(特ア三国)に共通する気質のルーツはどうやら「殷人」気質のようです。
「殷人」は「残虐に人をいたぶったり殺したりする」のが大好きでいけにえとして数十人〜数百人の羌族の首をマサカリで切り落としたり、子供を茹でて親に食わせたりとか平気でやります。
さらに「殷文化のルーツ」を追跡するとそれが「他民族のデッドコピー」であることが分ってきました。
(殷は神権国家でなんでも占いで決めていましたが、「信心深い」のではなく「全ての残虐行為の責任を神に転嫁しているだけ」です。)
殷人は商人であり「塩地」と言うところから採れる「岩塩」を取引していましたが、要するに「加工技術」はほとんど要らず「口先三寸で高値で取引する」のが得意でした。
(一方、倭人の祖は口下手ですが「その手が作り出す品物」は口より遥かに雄弁に語りかける一級品でした。)
そして、殷は夏王朝から王朝を簒奪し、馬方や鬼方、虎方、人方などの方国(辺境の国)を支配しました。
しかし、人方だけは「人」の字を持つように、「逆立ちしても真似のできない技術力」を持つためとても奴隷扱いできなかったばかりか、当時のお金である「貝貨」も「塩」も人方が一手に握っており、すなわち方国でありながら大蔵省や造幣局並の強大な力を持っていました。
ついに殷王朝が人方を力づくで支配しようと決意し実行したとき、殷は周によって滅亡してしまいました。
(この「あまりのタイミングの良さ」はひょっとすると周の反逆を人方が財政的に支援したのかもしれません。)
殷が人方に攻め込むと、海洋民族の人方は当然東の海に逃げましたが陸上民族の殷人には追いかけることができませんでした。
(人方がどこに逃げていたのか分りませんがおそらく貝貨の拠点である沖縄ではないでしょうか?)
殷が滅ぶと「人方」改め「倭人」となり周王朝に鬯草という長寿の薬草を献じました。
(『論衡』に「周の時は天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人鬯草を貢す。」とあるように「越裳(後の「越」)という地域」と「倭人」が対等であって「越裳人」ではないように、「倭人」とは「種族名」ではなく「地域名」です。)
いや、それが!
私も元々はそう考えていましたが、東アジアの古代史を追跡してゆくと4000年前から日本人の祖先とチャイニーズの祖先は同じトラブルの繰り返しだったことが分ってきました。
考えて見ればDNAというのは「デジタルコピー」ですから劣化しませんし、母集団を多く取れば取るほどその性質は確定的になります。
多民族の交配を繰り返すことで新たな性質が生じもしますが、根本的な性質の差は埋めがたいようです。
このチャイニーズとコリアン(特ア三国)に共通する気質のルーツはどうやら「殷人」気質のようです。
「殷人」は「残虐に人をいたぶったり殺したりする」のが大好きでいけにえとして数十人〜数百人の羌族の首をマサカリで切り落としたり、子供を茹でて親に食わせたりとか平気でやります。
さらに「殷文化のルーツ」を追跡するとそれが「他民族のデッドコピー」であることが分ってきました。
(殷は神権国家でなんでも占いで決めていましたが、「信心深い」のではなく「全ての残虐行為の責任を神に転嫁しているだけ」です。)
殷人は商人であり「塩地」と言うところから採れる「岩塩」を取引していましたが、要するに「加工技術」はほとんど要らず「口先三寸で高値で取引する」のが得意でした。
(一方、倭人の祖は口下手ですが「その手が作り出す品物」は口より遥かに雄弁に語りかける一級品でした。)
そして、殷は夏王朝から王朝を簒奪し、馬方や鬼方、虎方、人方などの方国(辺境の国)を支配しました。
しかし、人方だけは「人」の字を持つように、「逆立ちしても真似のできない技術力」を持つためとても奴隷扱いできなかったばかりか、当時のお金である「貝貨」も「塩」も人方が一手に握っており、すなわち方国でありながら大蔵省や造幣局並の強大な力を持っていました。
ついに殷王朝が人方を力づくで支配しようと決意し実行したとき、殷は周によって滅亡してしまいました。
(この「あまりのタイミングの良さ」はひょっとすると周の反逆を人方が財政的に支援したのかもしれません。)
殷が人方に攻め込むと、海洋民族の人方は当然東の海に逃げましたが陸上民族の殷人には追いかけることができませんでした。
(人方がどこに逃げていたのか分りませんがおそらく貝貨の拠点である沖縄ではないでしょうか?)
殷が滅ぶと「人方」改め「倭人」となり周王朝に鬯草という長寿の薬草を献じました。
(『論衡』に「周の時は天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人鬯草を貢す。」とあるように「越裳(後の「越」)という地域」と「倭人」が対等であって「越裳人」ではないように、「倭人」とは「種族名」ではなく「地域名」です。)
これは メッセージ 132332 (tokagenoheso さん)への返信です.
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