matoe
投稿者: palmereldritch608 投稿日時: 2007/02/23 21:54 投稿番号: [132056 / 196466]
1)
呼称とは、いわば通り名といえるが、通り名やそれと同類のあだ名を、我々は自分で勝手に決定することは通常出来ない。増してや、他人にそう呼称することを強要することなどもっと出来ない。せいぜい、こう呼んでください、とお願いすることが出来るだけである。
2) 支那という名称は、起源においても、歴史的に見ても、蔑称ではありえない。 かつては蔑称として使用されたという見解もあるが、余りに根拠を欠いている。確かに朝鮮は「チョウセン」として侮蔑的に使用された経緯はある。「やーい。チョウセン」なる文言や同様の表現は、現代日本人も耳にしたことがあるはずだ。しかし「やーい。シナ」なる文言や同類の表現は、恐らく耳にも目にもしたことはあるまい。また、一般に蔑称は、国名ではなく国民に向けられることが多く、それなら「チャンコロ」なる蔑称を我々は既に持っている。以上の点を鑑みるに、「支那」が一般的に蔑称化していたとは、到底言いがたく、むしろ「支那」−侮蔑使用の伝説は、日本人の過剰な贖罪史観の表れと見るのが妥当である。
4) また、仮に侮蔑的に使用されていたからといって、意味を無視して、その言葉が蔑称になる訳ではない。例えば、90年代以後、かつては日本の小中高校教育において、一般に女子の体操服であったブルマーはほぼ廃止された。「ブルマー」が性的妄想を惹起する、という理由だが、もし、先の論に従うのであれば、「ブルマー」は性的用語ということになってしまい、この様な言語規定が極めて不合理であることがわかる。どんな言葉も物品も、性的にも侮蔑的にも使用される可能性はあり、それならば、すべての言葉は性的用語であり、蔑称であるともなりかねない。当然、それを理由に禁圧するというのであれば、やがてはすべての言葉を禁圧せねばならず、支那−蔑称−禁圧論が、度し難いほど愚かな俗論に過ぎぬことが分かるはずである。
5) さらに言うなら、例え蔑称だからといって、禁圧する理由にはならない。言語の発生起源という観点から見ても、蔑称や侮蔑語が、暴力的対立の緩衝装置として機能している点は否めないからだ。また、ただでさえ、蔑称、侮蔑語、罵倒語が諸外国に比べ発達していない日本語から、これらを排除することが、日本語の更なる貧困化、窮乏化を招くことは必然である。蔑称や侮蔑語の使用は、それを使う者の品性の問題と考えるのが正しい。
6) 支那人が「支那」という呼称を嫌っているというのは嘘である。その証拠に同義同源であるはずのCHAINAは彼らも認めているし、自分たちも使用している。また、インドシナ半島、東シナ海等、地名、海名、その他おびただしい物品名についても、支那政府はいささかの抗議も加えていない。
7) 2)と7)の事実を鑑みて分かるのは、支那人が嫌っているのは呼称としての「支那」そのものではなく、日本人による「支那」の使用だ。しかし、この日本人だけに対する「支那」の使用禁止を、例えば、日支間の歴史的経緯から説明することは不可能である。それなら、イギリスのCHINAの使用も禁止されなければならないからだ。
9) したがって、支那人による日本人のみに対する「支那」の禁圧は、支那人による日本人蔑視、されには我々の主権の侵害−侵略という以外に、合理的には説明できない。かかる不当な民族差別や侵略を、われわれが看過することは許されるべきではない。
10) また、「支那」の正式名称が「中華人民共和国」なのだから正式名称で呼ぶべき、との主張があるが、国家の正式名称はその起源や目的から見ても、生物学における学名と同類なのだ。例えば、犬の学名はCanis lupus familiarisだが、これを犬の呼称としている国など、ただの一国もあるまい。もともと、各言語間の混乱を避けるために生み出された、国家の正式名称や学名と、日常的に使用される呼称では、その目的とするところも、機能も異なっており、これらを同一視して論じることには無理があり、かえって有害ですらある。仮に、各国が一斉に国名を変更し、アメリカが「東北」と名乗り、イギリスは「北陸」ロシアが「北海道」フランスは「九州」となったとしよう、もし、先の主張に従えば、日本語は大混乱に陥るはずである。また、もし「チンポマンコ」などという正式名称を持つ国が成立し、日本に対して、これを呼称とせよと要求してきた場合、われわれはこれを容認できるだろうか?出来るわけがない。この様な事態を防ぐためにも、国名が正式名称ではなく、各国の言語慣習によって呼称される方が、合理的なのであり、世界的な慣習ともなっている。正式名称で呼称されている国もあるが、それはたまたま呼称と正式名称が一致した事例というに過ぎないのだ。また、事実「中国」なる呼称は日本の「中国地方」との著しい混同、混乱を呼んでいる
2) 支那という名称は、起源においても、歴史的に見ても、蔑称ではありえない。 かつては蔑称として使用されたという見解もあるが、余りに根拠を欠いている。確かに朝鮮は「チョウセン」として侮蔑的に使用された経緯はある。「やーい。チョウセン」なる文言や同様の表現は、現代日本人も耳にしたことがあるはずだ。しかし「やーい。シナ」なる文言や同類の表現は、恐らく耳にも目にもしたことはあるまい。また、一般に蔑称は、国名ではなく国民に向けられることが多く、それなら「チャンコロ」なる蔑称を我々は既に持っている。以上の点を鑑みるに、「支那」が一般的に蔑称化していたとは、到底言いがたく、むしろ「支那」−侮蔑使用の伝説は、日本人の過剰な贖罪史観の表れと見るのが妥当である。
4) また、仮に侮蔑的に使用されていたからといって、意味を無視して、その言葉が蔑称になる訳ではない。例えば、90年代以後、かつては日本の小中高校教育において、一般に女子の体操服であったブルマーはほぼ廃止された。「ブルマー」が性的妄想を惹起する、という理由だが、もし、先の論に従うのであれば、「ブルマー」は性的用語ということになってしまい、この様な言語規定が極めて不合理であることがわかる。どんな言葉も物品も、性的にも侮蔑的にも使用される可能性はあり、それならば、すべての言葉は性的用語であり、蔑称であるともなりかねない。当然、それを理由に禁圧するというのであれば、やがてはすべての言葉を禁圧せねばならず、支那−蔑称−禁圧論が、度し難いほど愚かな俗論に過ぎぬことが分かるはずである。
5) さらに言うなら、例え蔑称だからといって、禁圧する理由にはならない。言語の発生起源という観点から見ても、蔑称や侮蔑語が、暴力的対立の緩衝装置として機能している点は否めないからだ。また、ただでさえ、蔑称、侮蔑語、罵倒語が諸外国に比べ発達していない日本語から、これらを排除することが、日本語の更なる貧困化、窮乏化を招くことは必然である。蔑称や侮蔑語の使用は、それを使う者の品性の問題と考えるのが正しい。
6) 支那人が「支那」という呼称を嫌っているというのは嘘である。その証拠に同義同源であるはずのCHAINAは彼らも認めているし、自分たちも使用している。また、インドシナ半島、東シナ海等、地名、海名、その他おびただしい物品名についても、支那政府はいささかの抗議も加えていない。
7) 2)と7)の事実を鑑みて分かるのは、支那人が嫌っているのは呼称としての「支那」そのものではなく、日本人による「支那」の使用だ。しかし、この日本人だけに対する「支那」の使用禁止を、例えば、日支間の歴史的経緯から説明することは不可能である。それなら、イギリスのCHINAの使用も禁止されなければならないからだ。
9) したがって、支那人による日本人のみに対する「支那」の禁圧は、支那人による日本人蔑視、されには我々の主権の侵害−侵略という以外に、合理的には説明できない。かかる不当な民族差別や侵略を、われわれが看過することは許されるべきではない。
10) また、「支那」の正式名称が「中華人民共和国」なのだから正式名称で呼ぶべき、との主張があるが、国家の正式名称はその起源や目的から見ても、生物学における学名と同類なのだ。例えば、犬の学名はCanis lupus familiarisだが、これを犬の呼称としている国など、ただの一国もあるまい。もともと、各言語間の混乱を避けるために生み出された、国家の正式名称や学名と、日常的に使用される呼称では、その目的とするところも、機能も異なっており、これらを同一視して論じることには無理があり、かえって有害ですらある。仮に、各国が一斉に国名を変更し、アメリカが「東北」と名乗り、イギリスは「北陸」ロシアが「北海道」フランスは「九州」となったとしよう、もし、先の主張に従えば、日本語は大混乱に陥るはずである。また、もし「チンポマンコ」などという正式名称を持つ国が成立し、日本に対して、これを呼称とせよと要求してきた場合、われわれはこれを容認できるだろうか?出来るわけがない。この様な事態を防ぐためにも、国名が正式名称ではなく、各国の言語慣習によって呼称される方が、合理的なのであり、世界的な慣習ともなっている。正式名称で呼称されている国もあるが、それはたまたま呼称と正式名称が一致した事例というに過ぎないのだ。また、事実「中国」なる呼称は日本の「中国地方」との著しい混同、混乱を呼んでいる
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