中国人との議論は無理です。 罵倒だけ
投稿者: hanaso2001 投稿日時: 2007/02/17 08:16 投稿番号: [131737 / 196466]
以下を読んでやっと解かったような気がします。要は期待しても無理なんです。
先日、やはりネットをやっている友人(このトピックの聴視者でもある)と、『中国人はなぜ議論のマナーが悪いのか、あるいはなぜ普通に議論が出来ないのか(なぜ、すぐに誹謗や罵倒になってしまうのか)』という問題について話をしまた。
もちろんその理由は、有史以来、長く独裁政治の下にあった中国社会が、健全な民主主義の土壌を育てられなかったから、に他ならないのですが、それ以前に“中国人には『議論』と『口論/罵り合い』の区別が、実は最初から解っていないのではないか? ”という疑問が生じてきました。
実際、中国語の『議論』という言葉には、日本語と同じ意味(意見を述べ合って、互いの合理性を確かめること)の他に、『相手の欠点をあげつらう、罵る』という意味があります。もちろん、日本語の『口論』、『罵り合い』に相当する言葉も有るのですが、独立して『議論』“だけ”を意味する単語は、ありません。
つまり中国人は、『議論』と『罵り合い』を、同じものだと認識している。
“『議論』と『罵り合い』の区別がつかない”のです。
いや、こんな事を言うとまた『差別的な発言だ』と批判をされそうですが、これと同じ事は、他の例にも見られます。
ちょっと記憶がうろ覚えなのですが、アラスカの一部の先住民には、『緑』色と『青』色の違いを区別する事が出来ない、という話を読んだことがあります。これは先天的にそういう能力が欠けているのではなく、彼らの使用する言語では、青と緑は同じ単語で表現されるから、なのだそうです。
ですから、緑、あるいは青という言葉を無理やり覚えさせると、だんだん緑と青の区別がつくようになってくる……。
雪と氷の世界では、自然の中で緑という色を見る機会が少ないでしょうから、青を意味する単語“だけ”あれば充分だったのでしょう、恐らく。
それと同じように中国では、政治的には専制政治、庶民レベルでは儒教的な上下関係が支配していたため、議論という言葉を、それだけで独立させる必要が無かったものと思われます。このため中国人は、たとえ海外に留学するような知識人でも、『議論』と『罵り合い』の区別がつきません。どちらも、大差ないものだと思っています。
議論というものは、たとえ自分の主張が間違っていたと解ったとしても、お互いに真実に一歩近づくことができます(実際に、このとおりのお行儀の良い『議論』をする事は難しいものですが、少なくとも私たちは、そう考えています)。
ところが、中国人の『罵り合い』は、負けたら終わりです。例え自分が間違っていたと気がついたとしても、決して認めるわけにはいきません。
もし、言い負かされそうになったら、『50年前の戦争の事』でも、相手の『遺伝性疾患』のことでも、『三代前の母親の不行跡』でも、あるいは『お前の母ちゃん出臍』でも、相手にダメージを与えられそうな材料は、何でも持ち出して“攻撃”します。
これは反論ではなく“攻撃”ですから、話の主題と何ら関係が無くとも構いません。要は相手に傷を負わせればいいのです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835368&tid=a1za1za1za57a5jbfma4r8aba4bfa4ia 31a31a30hva1za1za1z&sid=1835368&mid=54
先日、やはりネットをやっている友人(このトピックの聴視者でもある)と、『中国人はなぜ議論のマナーが悪いのか、あるいはなぜ普通に議論が出来ないのか(なぜ、すぐに誹謗や罵倒になってしまうのか)』という問題について話をしまた。
もちろんその理由は、有史以来、長く独裁政治の下にあった中国社会が、健全な民主主義の土壌を育てられなかったから、に他ならないのですが、それ以前に“中国人には『議論』と『口論/罵り合い』の区別が、実は最初から解っていないのではないか? ”という疑問が生じてきました。
実際、中国語の『議論』という言葉には、日本語と同じ意味(意見を述べ合って、互いの合理性を確かめること)の他に、『相手の欠点をあげつらう、罵る』という意味があります。もちろん、日本語の『口論』、『罵り合い』に相当する言葉も有るのですが、独立して『議論』“だけ”を意味する単語は、ありません。
つまり中国人は、『議論』と『罵り合い』を、同じものだと認識している。
“『議論』と『罵り合い』の区別がつかない”のです。
いや、こんな事を言うとまた『差別的な発言だ』と批判をされそうですが、これと同じ事は、他の例にも見られます。
ちょっと記憶がうろ覚えなのですが、アラスカの一部の先住民には、『緑』色と『青』色の違いを区別する事が出来ない、という話を読んだことがあります。これは先天的にそういう能力が欠けているのではなく、彼らの使用する言語では、青と緑は同じ単語で表現されるから、なのだそうです。
ですから、緑、あるいは青という言葉を無理やり覚えさせると、だんだん緑と青の区別がつくようになってくる……。
雪と氷の世界では、自然の中で緑という色を見る機会が少ないでしょうから、青を意味する単語“だけ”あれば充分だったのでしょう、恐らく。
それと同じように中国では、政治的には専制政治、庶民レベルでは儒教的な上下関係が支配していたため、議論という言葉を、それだけで独立させる必要が無かったものと思われます。このため中国人は、たとえ海外に留学するような知識人でも、『議論』と『罵り合い』の区別がつきません。どちらも、大差ないものだと思っています。
議論というものは、たとえ自分の主張が間違っていたと解ったとしても、お互いに真実に一歩近づくことができます(実際に、このとおりのお行儀の良い『議論』をする事は難しいものですが、少なくとも私たちは、そう考えています)。
ところが、中国人の『罵り合い』は、負けたら終わりです。例え自分が間違っていたと気がついたとしても、決して認めるわけにはいきません。
もし、言い負かされそうになったら、『50年前の戦争の事』でも、相手の『遺伝性疾患』のことでも、『三代前の母親の不行跡』でも、あるいは『お前の母ちゃん出臍』でも、相手にダメージを与えられそうな材料は、何でも持ち出して“攻撃”します。
これは反論ではなく“攻撃”ですから、話の主題と何ら関係が無くとも構いません。要は相手に傷を負わせればいいのです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835368&tid=a1za1za1za57a5jbfma4r8aba4bfa4ia 31a31a30hva1za1za1z&sid=1835368&mid=54
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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