売国と人権
投稿者: palmereldritch608 投稿日時: 2007/02/04 01:03 投稿番号: [130699 / 196466]
今日、支那とわが国の関係が決して良好とは言い難いことは、多くの人にとっては常識に違いない。領土の侵略、度重なる内政干渉、治外法権の無視、支那の核ミサイルの照準など、これで良好な関係と言うのであれば、東西冷戦下のアメリカとソ連ですら、十分に良好な関係にあったといえるはずである。
にもかかわらず、ことこの期に及んでもなお、日本人に支那を擁護する声は多い。彼らの多くは支那との取引を生業とするものであろう。なるほど、彼らにとって日支関係の悪化は仕事上の不利益となり、ましてや紛争ともなれば、失業をも意味しかねないはずである。
彼らの心中を察するにやぶさかではあるまい。私自身、自らの仕事上の不利益を可能な限り回避したいと願うからである。
しかし、仮に某国が、わが国や国民の正当な権利を踏みにじろうと試みるとき、自らの職務上の利益を理由に、御説ごもっともとばかりに、某国の主張に加担するなどという大胆さは私には無い。職務上とはいえ、けっきょくは私的権益に過ぎないことを私は理解しているからである。
また過去100年、度重なる技術革新の結果として、いったいどれほどの職業がこの世から消失したかを思うなら、私の職業のみが特権的であるべきなどとは到底言えることではないのだ。
自らの私的利益を図るため、国家・国民を裏切り、彼らの正当な権利を奪おうとする他国に加担するものを、日本語ではなんと言うのだろうか?これは「売国」と呼ばれるべき所業である。
「売国」の罪は重い。刑法に定められた「外患誘致」は売国の最たるものだが、この量刑規定は死刑のみである。売国は殺人よりも罪が重いのだ。
考えるなら、これは至極当然のことである。殺人の禁止の根拠であり、現実的にこれを禁じているのは国家なのだ。売国はその根幹であるところの国家そのものを転覆させかねない行為なのである。ゆえに売国は、人間の犯し得る最も重い罪であるより他ないのである。
問題は、彼ら売国行為を働く者のうち、ほとんど誰一人として罪の意識が無い、という点である。国家・国民を裏切り、それでもなお彼らがそれを罪とも考えないのだとすれば、彼らはわれわれとは別の倫理規範に従っていることになる。彼らは国家ではなく、今日わが国において疫病のように猖獗を極める、人権や平等という原理に従い、あたかも免罪符のごとくそれを利用しているのだ。曰く、支那人の人権を認めろ。支那人を差別するな。である。
少しはものを考えてみればいいのだが、人権や平等などという概念そのものが、はなから国家を前提としており、とりもなおさずそれは、国民の国家に対する人権であり、国民の国家に対する平等であるより他ないのである。支那人に限らず外国人に人権も平等もあるはずが無いのだ。
そういった意味で、厚顔に売国を働く彼らとは、極めて無思考な人種であり、彼らが新しい価値や、正しい言説を生み出す可能性など万が一にも無いと言えるだろう。
かつてサルトルは「現状では乗り越え不能」とマルクスを評したが、事実として乗り越え不能なのはマルクス理論などではなく、国家なのだ。マルクス主義を始めとする、あまたの近代社会改革運動が、どれも悲惨な結末を迎えたのは、まさに国家という思想に敗北したからなのである。
彼ら売国者の節穴の目からは、この国家という思想の恐るべき正しさも脅威も、決して見えてはいないのである。
にもかかわらず、ことこの期に及んでもなお、日本人に支那を擁護する声は多い。彼らの多くは支那との取引を生業とするものであろう。なるほど、彼らにとって日支関係の悪化は仕事上の不利益となり、ましてや紛争ともなれば、失業をも意味しかねないはずである。
彼らの心中を察するにやぶさかではあるまい。私自身、自らの仕事上の不利益を可能な限り回避したいと願うからである。
しかし、仮に某国が、わが国や国民の正当な権利を踏みにじろうと試みるとき、自らの職務上の利益を理由に、御説ごもっともとばかりに、某国の主張に加担するなどという大胆さは私には無い。職務上とはいえ、けっきょくは私的権益に過ぎないことを私は理解しているからである。
また過去100年、度重なる技術革新の結果として、いったいどれほどの職業がこの世から消失したかを思うなら、私の職業のみが特権的であるべきなどとは到底言えることではないのだ。
自らの私的利益を図るため、国家・国民を裏切り、彼らの正当な権利を奪おうとする他国に加担するものを、日本語ではなんと言うのだろうか?これは「売国」と呼ばれるべき所業である。
「売国」の罪は重い。刑法に定められた「外患誘致」は売国の最たるものだが、この量刑規定は死刑のみである。売国は殺人よりも罪が重いのだ。
考えるなら、これは至極当然のことである。殺人の禁止の根拠であり、現実的にこれを禁じているのは国家なのだ。売国はその根幹であるところの国家そのものを転覆させかねない行為なのである。ゆえに売国は、人間の犯し得る最も重い罪であるより他ないのである。
問題は、彼ら売国行為を働く者のうち、ほとんど誰一人として罪の意識が無い、という点である。国家・国民を裏切り、それでもなお彼らがそれを罪とも考えないのだとすれば、彼らはわれわれとは別の倫理規範に従っていることになる。彼らは国家ではなく、今日わが国において疫病のように猖獗を極める、人権や平等という原理に従い、あたかも免罪符のごとくそれを利用しているのだ。曰く、支那人の人権を認めろ。支那人を差別するな。である。
少しはものを考えてみればいいのだが、人権や平等などという概念そのものが、はなから国家を前提としており、とりもなおさずそれは、国民の国家に対する人権であり、国民の国家に対する平等であるより他ないのである。支那人に限らず外国人に人権も平等もあるはずが無いのだ。
そういった意味で、厚顔に売国を働く彼らとは、極めて無思考な人種であり、彼らが新しい価値や、正しい言説を生み出す可能性など万が一にも無いと言えるだろう。
かつてサルトルは「現状では乗り越え不能」とマルクスを評したが、事実として乗り越え不能なのはマルクス理論などではなく、国家なのだ。マルクス主義を始めとする、あまたの近代社会改革運動が、どれも悲惨な結末を迎えたのは、まさに国家という思想に敗北したからなのである。
彼ら売国者の節穴の目からは、この国家という思想の恐るべき正しさも脅威も、決して見えてはいないのである。
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