日本便所の歴史
投稿者: tokyo_made_otearai_benki 投稿日時: 2007/01/30 13:19 投稿番号: [130313 / 196466]
日本人が便所を使い始めた正確な時期は不明であるが、古くから便所と見られる構造が遺跡によって見ることができる。考古学で糞石調査がおこなわれ、各時代人の食性調査が判明してきている。
弥生時代の遺跡には下水道のような構造が見られることから遅くともこの辺りには便所を造り使われ始めていたとされる。
平安貴族は樋箱というおまるを使用していた。また 平安時代の草紙などには野外で糞便する光景が描かれているように庶民には便所というものがなかった。後に穴を掘って作る汲み取り式便所は建設が簡単であり、長い間主流であった。また排泄物を目視して健康状態を確認することが難しいことから、皇族や高い地位にある身分の高い武士の用いる便所は引き出し式になっており、下で健康を管理する者が確認できるようになっていた。
江戸時代においては、農村部で大小便(し尿)を農作物を栽培する際の肥料としても使うようりなり、高価で取引されるようになった。そこで江戸、京都、大阪など人口集積地の共同住宅である長屋などでは、共同便所が作られ収集し商売するものがあらわれた。
農村部では、居住空間である母屋とは別に、独立して便所が建てられる(母屋には便所はないので、一度外へ出ないと便所に行けない)形態が戦後まで行われていた。 また、琉球王国(沖縄県)など琉球諸島においては中国と同じ方式の便所の穴の下でシマブタを飼い、餌として直接供給する構造も存在した。
農業へのし尿の利用は、日本を占領した連合国軍のアメリカ軍兵士により持ち込まれたサラダ等野菜の生食の習慣のため、回虫など寄生虫感染防止という衛生上の理由が生じた事や化学肥料など他の肥料の普及などから利用価値が低下し高度経済成長期には取引は行われなくなった。そのため、汲み取ったし尿は周辺の海域に投棄されることが多かったが、国際条約によってし尿の海洋投棄が禁止されることになり、下水道の整備や浄化槽の設置に対する補助金制度の拡充などの施策が進められている。
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