Re: 言ってみろ・・支那と
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2007/01/30 12:14 投稿番号: [130307 / 196466]
>ちなみに私は「支那」を嫌がらせで使っているのではありませんよ(笑)。<
>何度も言いますが、支那はいささかも蔑称ではありません。<
何度でも言って差し上げましょう。
「嫌がらせ」であろうとなかろうと、「蔑称」であろうとなかろうと、相手が「イヤだ」「ダメだ」「やめろ」と言うのであれば、その呼称を使ってはなりません。
いいですか・・カラスの勝手ではなく、許されません。
あなたが江戸時代の人なら、或いは歴史ドラマの中での台詞ならば、「支那」「シナ」「しーな」も有り得ることだが、今の中国を「支那」と呼称するなら、言う方の意識が疑われる。
アフリカ大陸の東に位置する「スリランカ」は、以前は「セイロン」と呼称されていたが、今は「スリランカ」に変わった。
東南アジアの「ビルマ」も、今は「ミャンマー」と呼称する。
それぞれの国に、それぞれの理由があり、それぞれの事情があって呼称を変えたのだ。
それを認めないと言うなら、それは認めないほうが横暴。
数えれば、同様の事例は数知れず。
北極圏の「エスキモー」も今はダメだそうで、「イヌイット」とか言うらしい。
「昔の名前もOKよ」と、あちらが許すのならまだしものこと、「ダメだ」「不愉快だ」と言うのなら、それはダメに決まっている。
その「ダメよ」を無視して押し切る、その意識の根底は何なのだ?
あなたが「嫌がらせではありません」とイクスキューズ(弁解)してみたところで、否(いな)、弁解すればするほど本音が丸見えなのであり、それは紛(まぎ)れもなく、明々白々の「嫌がらせ」。
あなたが口の中でブツブツ「支那、しな、しなじ〜ん」と呟(つぶや)くだけなら実害もなかろうが、相手の前で「支那、しな」と言い放つなら、それはもう、無礼であり非礼であり、非常識。
私は通訳の仕事も随分やったが、多人数の歓談の席などには確信犯的「アホ」がいて、「キミたち支那人はだね〜・・」とか言い出す場面がある。
もちろん、そんな言葉は通訳しないけど、そんな言葉があちらに伝わるなら、顔が蒼白になって喧嘩にだってなりかねない。
子供の戯言(ざれごと)ではないのだから、それは、もう、大変なことになる。
「支那が悪い言葉だとは思わない」などと、弁解してみたところで「駟馬難追(取り返しがつかない)」なんだよ。
「支那」はドラマの中だけにしておくのが無難。
NHKが戦前を背景にしたドラマを製作するような場合、それは歴史的事実として「支那」であり「支那人」でなければならない。
昔、読んだ小説「ビルマの竪琴」を「ミャンマーの竪琴」と言うなら、それは大笑い。
>何度も言いますが、支那はいささかも蔑称ではありません。<
何度でも言って差し上げましょう。
「嫌がらせ」であろうとなかろうと、「蔑称」であろうとなかろうと、相手が「イヤだ」「ダメだ」「やめろ」と言うのであれば、その呼称を使ってはなりません。
いいですか・・カラスの勝手ではなく、許されません。
あなたが江戸時代の人なら、或いは歴史ドラマの中での台詞ならば、「支那」「シナ」「しーな」も有り得ることだが、今の中国を「支那」と呼称するなら、言う方の意識が疑われる。
アフリカ大陸の東に位置する「スリランカ」は、以前は「セイロン」と呼称されていたが、今は「スリランカ」に変わった。
東南アジアの「ビルマ」も、今は「ミャンマー」と呼称する。
それぞれの国に、それぞれの理由があり、それぞれの事情があって呼称を変えたのだ。
それを認めないと言うなら、それは認めないほうが横暴。
数えれば、同様の事例は数知れず。
北極圏の「エスキモー」も今はダメだそうで、「イヌイット」とか言うらしい。
「昔の名前もOKよ」と、あちらが許すのならまだしものこと、「ダメだ」「不愉快だ」と言うのなら、それはダメに決まっている。
その「ダメよ」を無視して押し切る、その意識の根底は何なのだ?
あなたが「嫌がらせではありません」とイクスキューズ(弁解)してみたところで、否(いな)、弁解すればするほど本音が丸見えなのであり、それは紛(まぎ)れもなく、明々白々の「嫌がらせ」。
あなたが口の中でブツブツ「支那、しな、しなじ〜ん」と呟(つぶや)くだけなら実害もなかろうが、相手の前で「支那、しな」と言い放つなら、それはもう、無礼であり非礼であり、非常識。
私は通訳の仕事も随分やったが、多人数の歓談の席などには確信犯的「アホ」がいて、「キミたち支那人はだね〜・・」とか言い出す場面がある。
もちろん、そんな言葉は通訳しないけど、そんな言葉があちらに伝わるなら、顔が蒼白になって喧嘩にだってなりかねない。
子供の戯言(ざれごと)ではないのだから、それは、もう、大変なことになる。
「支那が悪い言葉だとは思わない」などと、弁解してみたところで「駟馬難追(取り返しがつかない)」なんだよ。
「支那」はドラマの中だけにしておくのが無難。
NHKが戦前を背景にしたドラマを製作するような場合、それは歴史的事実として「支那」であり「支那人」でなければならない。
昔、読んだ小説「ビルマの竪琴」を「ミャンマーの竪琴」と言うなら、それは大笑い。
これは メッセージ 130280 (palmereldritch608 さん)への返信です.
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