Re: 讀萬卷書不如行萬里路
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2007/01/08 20:56 投稿番号: [128470 / 196466]
便器君は逆さに便器に頭を突っ込んだままなので、相手の言うことを理解してない。
臨界期を過ぎた後の人間も模倣は出来る。当然ながら、福沢諭吉も日本の古い価値観の中で育ち、その意味で刷り込みがあったろう。
ただし下級武士の家に生まれたことでかろうじて学問の道が開け、また身を以て差別を感じていた。したがって、すり込まれてはいたろうが、その環境に疑いはもっていたから新しい知識を模倣した。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずは、彼の出生時から持ち続けた疑問への回答だった。当時の先駆者たちは多かれ少なかれそうだったろう。
しかし、次世代はその模倣で得られた価値観の中で育てられ、少し変化する。そうやって世代を重ねることで人間が進歩をしてきた。
むろん、中国にも現状に疑問を持ち別の価値観を模倣する者はいるのだろう。馬鹿なjptmdあたりはそれをパクリと区別できないが。模倣でも良いのだよ。但し、刷り込みは消えない。だが、模倣して得た価値観は、次世代では本物に近づく。
同じ意味で、現代の日本の我々も勿論すり込まれている。唯、自分のあり方が本当に正しいのかどうか常に疑問を持つこともすり込まれている。だから、様々な試行錯誤も出来るし、創造も出来る。模倣もするだろう。模倣自体は無論必要であり、子供は親の模倣をして成長をする。また教育も模倣から始まる。
自分を疑うことが出来ないようにすり込まれているのとは大違いだ。
刷り込みという概念、すり込まれても模倣は出来ると言った説明を、逆さ頭の便器君は一切理解できない。模倣すらしていないらしい。ここまですり込まれると、模倣も出来ないとは言える。模倣とは、現状に疑問を持って初めて出来ることだ。
これは メッセージ 128469 (tokyo_made_otearai_benki さん)への返信です.
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