中国が韓国に暗部を暴かれる?
投稿者: sky_yamato2143 投稿日時: 2006/10/30 22:23 投稿番号: [126094 / 196466]
歴史が暗部ばかりなのはどっちの国も同じじゃないのか?
ttp://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1162040055/l50
22日中国北京の人民大会堂では‘長征勝利70周年記念式’行事が盛大に開かれた。
(中略:中国共産党最大の‘節日’を慶祝した様子)
‘長征’と言うのは1934年10月中国共産党の「工農紅軍(労働者と農民の赤い軍隊)が国民党政府の
包囲討伐攻撃を避けて江西省瑞金の根拠地を捨てて10余省を通って1936年10月、中国西北陝北・延安
に根拠地をすえるまで2万5000㎞を行軍したことを言う。
この長い苦難の行軍の間、紅軍は行く場所ごとに農民たちの熱い歓迎を受け、紅軍に志願入隊しよう
とする農民たちが長蛇の列を成したと中国共産党は説明する。紅軍はたとえ敗走しても行く土地ごと
に共産主義の理念を宣伝し、農民から軍事力の補充を受けて結局国民党との内戦で勝利するに至った
というのが中国共産党‘正史’の主張だ。
中国共産党の‘創世説話’である長征はしかし、今日少なくない実録作家たちから深刻な挑戦を受け
ている。去る2002〜2003年英作家Ed JocelynとAndrew McEwenは1年余りの長征の行路を歩いて紅軍生
残者と目撃者たちをインタビューした。これを土台に彼らは2004年<赤い道:長征の384日>を出版し
た。この本で著者たちは「毛沢東と彼の追従者たちは長征の真実を完全に歪曲し、マオを神格化し
た」と主張した。これらは「まるでマオ一人が蒋介石の封鎖網をくぐって紅軍を救い出したように誇
張したし、紅軍が行軍した距離も2万5000㎞ではなく実際は半分程度」と主張した。
これよりもっと深刻な挑戦は今年出版された中国系英国ドキュメンタリー作家孫淑芸の<長征>だ。
長征に参加した40人余りの老いた紅軍にインタビューした孫は、これらの証言が描き出す長征の実際
状況が中国共産党の‘正史’とあまりにも距離が遠いと言う。まず‘正史’は長征期間の間、農民た
ちが並んで紅軍に加入したと主張するが、老いた紅軍たちは「紅軍にはそんな魅力がなかった」と言
う。逆に‘拉致’と‘脅迫’が割り当てられた新兵充当のための一般的手口だったし、女性軍官は任
務不履行に対する懲罰を避けるため‘身体’を売って壮丁を紅軍に引き入れた。
当時脱走は銃殺だったが、紅軍の士気が地に落ちて幾多の大量逃走事態が続き、湘川戦闘時は3万名余
が脱営で‘行方不明’になったことが明らかになった。‘正史’はまた紅軍が行く所で歓迎を受けた
というが、実際の紅軍は行く所ごとに国民党の追い討ちでなければ軍閥の襲撃にあった。正史は否定
しているが、孫は生残者たちの証言を土台に「装備が不足な紅軍は酷寒で凍えて、幼い子供と患者は
捨てられ、隊列からおくれた女性たちは性暴行の被害者になった」と主張する。
最近の実録作家たちは共産党の粛正が紅軍を弱化させて敗走につながったと分析する。紅軍は食糧調
達も難しくアヘンを与えて穀物と交換し、これを拒否する農民を銃撃した。紅軍に一番苦しんだのは
チベット人だ。チベット農民の少なくない人々が紅軍に牛と穀物を没収されて飢死したため、人々は
今も中国共産党を憎悪する。ある老いた紅軍は「当時紅軍がチベット武装勢力と交戦した回数は国民
党と交戦した回数よりも多かった」と回想した。甚だしくは毛沢東と訒小平さえ後ほど「(紅軍の長
征過程で)チベット人たちにあまりにも多い借金をした」と認めるほどだった。
孫は長征が始まった原因に対しても神話破壊的解釈を出す。彼は1930年代に進行した何回もの血なま
ぐさい共産党の粛正が長征の根本原因だと主張する。特に1931年2万名余の命が失われた大粛正は、紅
軍内部の結束を大きく弱化させたし、1934年には根拠地を守ることができない程度になって長征とい
う敗走に出たというのだ。孫は「毛沢東はこの後にも30余年の間、中国人民に何回もの長征を強要し
た」「私たちがこんな苦痛を受け入れて来たわけは、長征がもとよりどんなに始まったのかに対して
無知だから」と主張する。
北京の賑やかな長征勝利70周年記念行事を眺めて孫は最近香港<亜洲時報>とのインタビューで英国
の演劇演出家Alan Bennettの言葉を借りて言いたいことを伝えた。
「一番良い忘却のやり方は記念することだ。」(The best way to forget an event is to commemorate it.)
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)70周年当たって搖れる中国共産党‘大長征’の神話
ttp://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1162040055/l50
22日中国北京の人民大会堂では‘長征勝利70周年記念式’行事が盛大に開かれた。
(中略:中国共産党最大の‘節日’を慶祝した様子)
‘長征’と言うのは1934年10月中国共産党の「工農紅軍(労働者と農民の赤い軍隊)が国民党政府の
包囲討伐攻撃を避けて江西省瑞金の根拠地を捨てて10余省を通って1936年10月、中国西北陝北・延安
に根拠地をすえるまで2万5000㎞を行軍したことを言う。
この長い苦難の行軍の間、紅軍は行く場所ごとに農民たちの熱い歓迎を受け、紅軍に志願入隊しよう
とする農民たちが長蛇の列を成したと中国共産党は説明する。紅軍はたとえ敗走しても行く土地ごと
に共産主義の理念を宣伝し、農民から軍事力の補充を受けて結局国民党との内戦で勝利するに至った
というのが中国共産党‘正史’の主張だ。
中国共産党の‘創世説話’である長征はしかし、今日少なくない実録作家たちから深刻な挑戦を受け
ている。去る2002〜2003年英作家Ed JocelynとAndrew McEwenは1年余りの長征の行路を歩いて紅軍生
残者と目撃者たちをインタビューした。これを土台に彼らは2004年<赤い道:長征の384日>を出版し
た。この本で著者たちは「毛沢東と彼の追従者たちは長征の真実を完全に歪曲し、マオを神格化し
た」と主張した。これらは「まるでマオ一人が蒋介石の封鎖網をくぐって紅軍を救い出したように誇
張したし、紅軍が行軍した距離も2万5000㎞ではなく実際は半分程度」と主張した。
これよりもっと深刻な挑戦は今年出版された中国系英国ドキュメンタリー作家孫淑芸の<長征>だ。
長征に参加した40人余りの老いた紅軍にインタビューした孫は、これらの証言が描き出す長征の実際
状況が中国共産党の‘正史’とあまりにも距離が遠いと言う。まず‘正史’は長征期間の間、農民た
ちが並んで紅軍に加入したと主張するが、老いた紅軍たちは「紅軍にはそんな魅力がなかった」と言
う。逆に‘拉致’と‘脅迫’が割り当てられた新兵充当のための一般的手口だったし、女性軍官は任
務不履行に対する懲罰を避けるため‘身体’を売って壮丁を紅軍に引き入れた。
当時脱走は銃殺だったが、紅軍の士気が地に落ちて幾多の大量逃走事態が続き、湘川戦闘時は3万名余
が脱営で‘行方不明’になったことが明らかになった。‘正史’はまた紅軍が行く所で歓迎を受けた
というが、実際の紅軍は行く所ごとに国民党の追い討ちでなければ軍閥の襲撃にあった。正史は否定
しているが、孫は生残者たちの証言を土台に「装備が不足な紅軍は酷寒で凍えて、幼い子供と患者は
捨てられ、隊列からおくれた女性たちは性暴行の被害者になった」と主張する。
最近の実録作家たちは共産党の粛正が紅軍を弱化させて敗走につながったと分析する。紅軍は食糧調
達も難しくアヘンを与えて穀物と交換し、これを拒否する農民を銃撃した。紅軍に一番苦しんだのは
チベット人だ。チベット農民の少なくない人々が紅軍に牛と穀物を没収されて飢死したため、人々は
今も中国共産党を憎悪する。ある老いた紅軍は「当時紅軍がチベット武装勢力と交戦した回数は国民
党と交戦した回数よりも多かった」と回想した。甚だしくは毛沢東と訒小平さえ後ほど「(紅軍の長
征過程で)チベット人たちにあまりにも多い借金をした」と認めるほどだった。
孫は長征が始まった原因に対しても神話破壊的解釈を出す。彼は1930年代に進行した何回もの血なま
ぐさい共産党の粛正が長征の根本原因だと主張する。特に1931年2万名余の命が失われた大粛正は、紅
軍内部の結束を大きく弱化させたし、1934年には根拠地を守ることができない程度になって長征とい
う敗走に出たというのだ。孫は「毛沢東はこの後にも30余年の間、中国人民に何回もの長征を強要し
た」「私たちがこんな苦痛を受け入れて来たわけは、長征がもとよりどんなに始まったのかに対して
無知だから」と主張する。
北京の賑やかな長征勝利70周年記念行事を眺めて孫は最近香港<亜洲時報>とのインタビューで英国
の演劇演出家Alan Bennettの言葉を借りて言いたいことを伝えた。
「一番良い忘却のやり方は記念することだ。」(The best way to forget an event is to commemorate it.)
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)70周年当たって搖れる中国共産党‘大長征’の神話
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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