日中関係

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日露戦争の原因は三国干渉から

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2006/09/14 00:25 投稿番号: [123658 / 196466]
明治二十七年(一八九四)の「日清戦争」は強引な清国の強圧に耐えられず、日本は戦端を開いた。戦争は世界の予想外の日本の一方的な勝利となった。眠れる獅子は、ついに目を覚まさず、清の無力ぶりをみた列強は、瀕死の巨獣に群がる、貪欲な野獣の如く、中国大陸の分捕り合戦の修羅場と化した。その牙はまず、ロシア・ドイツ・フランスの三国による日本への干渉であった。

明治二十八年四月、下関条約(講和条約)で日本と清国は遼東半島、台湾、膨湖諸島を日本に割譲することを約した。その六日後、右三国が下関条約に介入し「大陸の一部である遼東半島を日本が領有することは、極東の平和の障害になる」と、日本に遼東半島の領有権を放棄せよと迫った。日本としては当時、ロシアと一戦を交える軍事力はない。かくして二十八年五月五日、遼東半島の領有権の放棄を通告せざるを得なかった。三国干渉後、欧州各国は清国の無政府状態をみて、本格的に清国の利権奪取競争に突入した。
 
明治三十一年(一八九八)ロシアは、清国から旅順・大連を租借し、長春・旅順間の鉄道敷設権を獲得した。日本が戦勝で得た旅順・大連を、三国干渉して清に返させた所を、ロシアが租借するという、日本を無視した暴挙である。それでも日本は無力で沈黙を余儀なくさせられた。そして、満州はロシア、山東省はドイツ、揚子江沿岸一帯はイギリス、広東・広西・雲南の三省はフランスに蚕食され、清国は大混乱に陥った。
 
清国は国家存亡の危機に陥り、各地で国民の暴動が頻発した。その中でも「義和団の運動」即ち(清朝を助け西洋を滅ぼせ)は全国に広がり、最初はキリスト教に矛先を向けていたが、やがて排外的民族主義暴動に変容した。列強の過酷な重圧に泣いていた清朝は、この暴動の拡大を鎮圧せず、逆に暴動を利用して、各国の公使館を包囲するに至った。
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